新しい自分に出会いたい | 初めての本格登山【#4 赤城山・後編】 by吉玉サキ
「わぁ……」「すごい景色!」
赤城山の主峰・黒檜山に登頂したふたりは、嬉しさをこらえきれない様子で笑っている。
ふたりとは、これまで登山をしたことがなかった会社員のゆみさん(右)とまなみさん(左)だ。
山に登ってみたい人の初登山に同行するこの企画。第一回は手持ちのスニーカーで高尾山に登り、第二回は石井スポーツで登山靴を購入。そして第三回は標高1,828mの赤城山に来ている。
前編では、ヒイヒイ言いながらもなんとか登頂したふたり。
後編となる今回は、となりの駒ヶ岳を経由して下山するまでを書く。
そして、この連載は今回が最終回。登山を通して、ふたりはどのように変わったのだろうか。
初めての縦走
山頂でのランチ後、となりの駒ヶ岳に向かって歩き出す。
登って下りるのではなく、山からとなりの山へと歩くことを「縦走」という。
初心者のゆみさんとまなみさんにとって、いきなり縦走はハードすぎる……と思われるかもしれないが、登りに使った登山道が急なため、縦走したほうが簡単に下りられるのだ。
縦走路は日当たりがよく、暖かい。雪が融けたのか、道はぬかるんでいた。一歩歩くたび、靴の裏ににっちゃにっちゃと泥がつく。
まなみさんが、「靴の、泥がついてる箇所が人によって違う」と言った。見ると、たしかにその通りだ。歩き方のクセが反映されるのだろう。よく気づく人だな、と思う。
縦走路から富士山が見えた。街に太陽の光が当たり、波のようにキラキラと輝いている。
息を飲むほど、美しかった。
なぜだろう。山は見慣れているのに、富士山だけはつい見入ってしまう。みんな、ぼうっと景色に見とれていた。
縦走路はアップダウンがある。いったん下って、また登り返すのだ。
とはいえ来た道よりは傾斜が緩やかなので、のんびりとお喋りをしながら歩く。登りではヒイヒイ言っていたまなみさんも、リラックスした表情。
「あ、たぶんあそこが駒ヶ岳の山頂ですね。あそこに行きます」
私が指を指すと、ゆみさんとまなみさんは不思議そうな様子。私たちの説明が不十分だったため、「縦走」が伝わっていなかったのだ。
たしかに、「来た道とは別の道を通る」と聞かされたら、ふつうは「別の山の山頂を通る」とは考えないだろう。自分たちが知っていることだから、つい説明を忘れてしまった。
黒檜山から歩くこと1時間、駒ヶ岳の山頂に到着。登りほど緊張感がないからか、なんだかあっという間に感じた。
山と山の隙間に街が見える。つくづく、日本って山だらけだよなぁ。
YAMAPのふたりが「すごいですね。今日だけで山頂をふたつも踏みましたよ!」と言い、ゆみさんとまなみさんが照れくさそうに笑った。
自分の脚でここまで来たことを、ふたりはどう思っているのだろう。もっと、調子に乗っていいのに。
記念撮影をしたら、ふたりとも今まで以上にいい笑顔を見せてくれた。屈託のない、のびのびした笑顔。
登山がふたりを変えたというより、もともとこういう顔で笑う人たちなんだろうな、と思う。
いよいよ下山。無事に登山を終えたふたりは……
駒ヶ岳の山頂をあとにし、下山する。
途中、分岐があった。大沼のほうに下りる短いルートと、覚満淵のほうに下りるやや長いルートだ。YAMAPのさきむらさんが「どっちに行きます?」と言う。
ゆみさんが「ぬかるんでない道がいいです」と言うので、短いほうのルートにした。なんとなく、そっちのほうがぬかるんでないように見えたのだ。
しかし、歩いているとゆみさんが「この道、急ですね……」と言ったので笑ってしまった。さきむらさんも笑いながら「でも、ぬかるんでないですよ!」と反論する。正当な主張。
歩きながらお喋りしていると、まなみさんが「私でも千畳敷カールに行けますかね?」と言った。登山靴を買ったとき「いつか千畳敷カールに行ってみたい」と話していたが、今日でその思いがより強くなったようだ。
私は「赤城山に登れたんだから行けますよ!」と答える。慎重なまなみさんはしっかり下調べをして、危険がないよう千畳敷カールに行くだろう。それは次の夏かもしれない。夢や目標というほど大げさじゃない、少し先の楽しみなこと。そういうのって、日常に必要だと思う。
駒ヶ岳の山頂から50分ほど歩いたところで、ゴールが見えてきた。
いよいよゴール。登山開始から約4時間半。たったそれだけの時間なのに、とても長いこと山にいた気がする。
「おめでとうございます!」
無事に下山できた安堵感からか、ゆみさんとまなみさんはしばらく笑っていた。スマイルというより爆笑だ。登頂したときも下山したときも、笑ってしまうのはなぜだろう。
日常の中では、この笑顔が抑圧される場面もあるかもしれない。そんなとき、この日のことを思い出してほしい。赤城山に登れたこと。こんなにいい顔で笑えたこと。
もし笑えなくなったら山に行って、今の楽しい気分を補給してほしい。
夫が早朝のコンビニで衝動買いした、ゴミが散らばらないクラッカーで祝福する。
下山後はお土産物屋さんをのぞき、赤城神社にお参り。赤城神社は女性の願いを叶える神社らしい(ネットで見た)。
たっぷりお願いごとをしようと勇んだが、いざ手を合わせると、「みんな無事に下山できました。ありがとうございます」しか言葉が出てこなかった。ふたりは何を祈ったのだろう。
車に乗り込む頃、夕日が山を薄いオレンジに染めていた。
余談だけれど、翌日はひどい筋肉痛に悲鳴をあげた。ゆみさんとまなみさんも大変だったそうだ(ゆみさんは筋肉痛を想定し、あらかじめ翌日に午前休をとっていた)。
筋肉痛に苦しんでも、懲りずにまた山に登ってしまう。なぜと聞かれても「登ってみてください」としか言えない。
今のゆみさんとまなみさんは、この気持ちがわかると思う。
山に登ってみて感じたこと
この企画に参加して登山をしてみて、ふたりは何を感じ、どう変わったのだろうか。
後日、ふたりにメールで心境の変化を尋ねたら、こんな返信が来た。
※本人に掲載許可を得ています。また、読みやすいようメールの文章を一部整えています。
「大きな変化はない」とした上で、登山を通して感じたことを語ってくれたゆみさん。
大きな変化はありませんが、最高に楽しかった思い出コレクションに登山が追加されました。
私はコーチングを勉強していて、目標達成の道筋を山にたとえることがあるのですが、実際に登山を体験したことで、その比喩をより理解できるようになりました。
去年はわけもわからないまま旅先の候補に山小屋を入れていたのですが、今年は登山を具体的にイメージできるようになった上で、挑戦したいと思います。
インドア派で体が強くない私でも登山ができたので、「意外とやればできるかも」と気づきました。
知識として山を知っていることと、実際に肌で感じることは違う。「意外とやればできる」というのは、ゆみさんが登山を体験したからこそわかったことだ。あらためて、行動することの大切さを感じた。
一方、「心境の変化があった」と語るまなみさん。
私は誰かに必要とされたい気持ちが強くて、「存在していいよ」と相手に思われなければ、その場にいてはいけないと思っていました。だから、空気読まなきゃとか、相手にとって有益なことをしなければ! と考えることが多くて……。
赤城山を登ったとき、途中で聞こえた風の音や霧氷など、誰にも気づかれることなく生まれては消えていくものが、山にはたくさんあることを知りました。その様子は虚しいわけではなく、美しい強さのようなものを感じました。なんだか他人ばかり気にしている自分と真逆だなって。あのとき聞いた風や霧氷みたいになれたらいいなーと考えたりしていました。
あと、できないと思っていたことができた嬉しさが今でも残っています。
海やBBQなどを集団で楽しむ人たちのように、山=選ばれた人たちが楽しむものというイメージが強くて(笑)。そういう仲間に選ばれない自分は、スタートに立つことすらできないと思っていました。なので、高尾山や赤城山は見るもの感じるものすべてが初めてで、本当に楽しかったです。
皆さんと一緒に同じものを見たり笑ったり、おしゃべりしながら登れたのも、私の中ではすごく大きいです。一生縁がないと思っていたものを好きと思えるようになったのが、すごく嬉しいです。
まなみさんは会社の新年会で「今年は千畳敷カールに行きます」と宣言したそう。なんて頼もしいのだろう。
◇
この連載は今回で終了する。初回からたくさんの反響をいただき、とても嬉しい。
中でも多かったのが、「私も山に登ってみたくなった」という感想。
まったく山に登ったことがない人は、まずは高尾山のような山から始めてみてほしい。お住いの地域の近くで、小学生が遠足で登る山はないだろうか。ふだんあまりにも自然に触れていない人なら、自然公園や緑地から始めてもいいと思う。
どうか、最初からハードルを上げないでほしい。自分には無理だと、決めつけないでほしい。
山が、あなたにとって「小さな改革」の一歩となりますように。