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上田瑠偉×奥宮俊祐×内坂庸夫 トレイルランをゆったり語る - KZKR RETREAT トークセッションレポート

2019年10月26日、トレイルランイベント「KZKR RETREAT」を開催しました。

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KZKR RETREATは、トレイルランニングを安全で持続可能なものにするためにYAMAPが推進する「KZKR プロジェクト」の公式イベントです。

KZKR プロジェクトとは
「あたらしい山をつくろう。」を掲げるYAMAPが、山の新たなアクティビティであるトレランを、安全で持続可能な形で広めたいという思いで手がけるプロジェクトです。YAMAPだけでなく、ユーザー、選手、企業、団体と一緒になってトレランを盛り上げていきます。

ゲストには、今年スカイランニングの年間世界チャンピオンになった上田瑠偉さん、ランナーでありながら大会の主催も行う奥宮俊祐さん、TARZAN TRAILSでお馴染みの内坂庸夫さんをお招き。午前中はトークセッション、その後はトレイルでのランセッション、最後に懇親会を行い、大盛り上がりのイベントとなりました。

本記事は、イベント内で行われたトークセッションのレポートです。ランセッションや懇親会の写真も交えながら、お楽しみください。

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奥宮俊祐さん(写真左)
25歳の時に不整脈の手術を受け、その後に走れる喜びを初めて味わう。日本山岳耐久レース(ハセツネ)で3位入賞をしてから、トレイルランニングに全力を注ぐようになる。2012年からランニングチーム「Rord to Trail!」を主催し、トレランの楽しさを広く伝える活動を行い、2015年3月からは「FunTrails」を立ち上げプロトレイルランナーとして独立。
上田瑠偉さん(写真中)
1993年、長野県大町市生まれ。小中学校ではサッカーに取り組み、高校は陸上の名門・佐久長聖高校に進学。2013年、大学生の頃に初めて出場したウルトラロードマラソンをきっかけにトレイルランニング、スカイランニングの世界へ。2019年10月には、アジア・日本人初の「スカイランナー・ワールド・シリーズ」の年間チャンピオンに輝いた。
内坂庸夫さん(写真右)
編集者。「ターザン」創刊以来、数多くの運動選手、コーチ、医者、科学者に取材し、最新最良な運動科学を誌面で提供。2005年からトレイルラニングの連載を開始し、国内外のトレイルを実走開拓してそのコースとマップを紹介している。高尾トレイルマナー向上委員会・会長。

なお、会場は高尾山の麓、トレイルランブランド「ANSWER4」の直営ショップ「Living Dead Aid by ANSWER4」をお借りしました。ANSWER4のプロダクトはもちろん、世界中のクラフトビールも飲める素敵な場所です。

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以下、本編となります。


ふたりの、「走ること」との出会い

内坂:それでは本日はよろしくお願いします。まず、お聞きしたいことがあります。おふたりにとって、走ることの面白さってどんなところにあるんですか?

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奥宮:私は子どものころから走ることしかできない子どもだったんですよね。勉強もできないし運動会でもなんだかぱっとしないんだけど、マラソン大会だけは得意だったんです。年に1回、親にも先生にも褒められるのはマラソン大会だけでした。なので走ることことがずっと大好きで、そのまま大人になっちゃったんですよね。

内坂:それは、人より走ることが速いから好きだったんでしょうか?それとも走ること自体が好きなんでしょうかね?風を切る気持ちよさと言いますか。

奥宮:子どものころなんかは、人より速いのが嬉しかったですね。今もそうなんですけど、人に勝てることって走ることしかないので。勝てる喜びというのと、もちろん山に入ってすごく気持ちが良いことと、どちらもですかね。

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内坂:なるほど。上田さんはどうですか?

上田:僕は1993年のJリーグ元年に生まれて、ラモス瑠偉さんから名前をいただきました。なので物心つく頃からサッカーボールを蹴っていましたね。その体力づくりの一環として地区の陸上大会に出場していたのが、僕の走ることのきっかけでした。

内坂:もともとはサッカーのために走っていた?

上田:そうですね。中学時代まではクラブチームでサッカーをしていました。そのための体力作りとして、学校では陸上部として長距離をしていて。

内坂:では、サッカーから走りを専門にしていったのは、大体いつ頃からになるんでしょうか?

上田:中学3年からですね。夏にサッカーを引退しても、陸上は駅伝シーズンになるのでそのまま続けていました。年明けに都道府県対抗駅伝というのがあったんですけど、それに長野県代表として参加することになりまして。

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内坂:それはどういうレースなんですか?

上田:年代別に区間が分けられているんです、高校生や中学生もバラバラで、みんなでタスキを繋いでいくんです。

内坂:長野県の中学生の中での代表だったってわけですね。

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上田:はい。そこで長野県代表チームとして走って、優勝して。それが自分にとってとても大きい出来事でした。正直サッカーの方が楽しかったんですけど、当時駅伝で日本一だった佐久長聖高校から陸上でオファーが来たんです。父からも「なかなかないことだから、良いのではないか」と言ってもらって。なので、そのまま陸上で進学をしたという感じですね。

内坂:では上田さんも、そもそもの走ることの楽しさは、人に勝つことがはじまりだったんですか?

上田:最初の頃はそうだったんですけど、高校時代は怪我ばかりしていて。中学時代の記録すら抜けなくて、苦しい時期もありました。走れない時期もあったのですが、怪我が治ってからは、純粋に走ること自体が気持ちいいなって思えるようになりましたね。


なぜ「山を走ること」をはじめたのか

内坂:では、「山で走ること」とはどこで出会ったんですか?

奥宮:私は大学を卒業した後に1回パン屋さんをやって、そのあと自衛隊に入隊したんですよね。自衛官のときに駅伝を走っていたんですけど、ずっとロード担当だったんです。そんなある時オフロードを走ったら、思いのほかいいタイムが出たことがありまして。そして監督から「ハセツネを走ってみないか」と言われて走ったことがきっかけですね。

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ハセツネ:「日本山岳耐久レース」ともよばれ、東京の山岳地帯を走る総距離71kmのトレイルランニングレース。名称は日本の登山家、長谷川恒男に由来する。日本最高峰のトレイルランニングレースのひとつ。

内坂:なるほど、ハセツネが山のデビューだったんですね。上田選手はいかがですか?

上田:高校のときに『Born to run』という本を読んで、トレイルランニングを知って、なんとなく自分もしてみたいと思いました。

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上田:それで大学2年のときに、100キロのウルトラマラソンに出たんです。そこにたまたま、今の所属先のコロンビアさんが来ていて、「トレランをしてみないか」と声をかけていただいて。そうして初めて出たレースが、奥宮さんの主催する三原・白竜湖トレイルランレースでしたね。

内坂:それが生まれてはじめて山を走ったっていうことになるんですか?

上田:レースの練習のために高尾山を走ったりしたことはありましたけど、レースは初めてでしたね。

内坂:まさに(今回の会場である)高尾山で初めて山を走ったということですが、山を走ったときは、どんなことを感じましたか?

上田:それまで山を走ったことはなかったので、とりあえずルートを全部制覇しようと思ってたんですけど、人が多くて進むのが大変で。

人が少ないところに行こうとしたら、それはそれで迷子になりかけたこともあります。今でこそすべての道がわかりますけど、当時はどうしようどうしようって、困ってましたね。

内坂:世界チャンピオンの上田さんも、初めて山を走ったときには困ってしまった、ということですね。


トレイルランニングの魅力を、ひと言で

内坂:それでは、おふたりにとってトレイルランニングの魅力。これを一言で言うならば、どんなことがありますか?

奥宮:山の中を走って気持ちがいいのは、あえて言わなくてもいいと思うんです。もはや当たり前のことだとも思ってますので。

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私にとってトレイルランニングは、魅力というか人生そのものなんですよね。もう少しくだけていうと...「稼ぐ手段」でもあるといいますか。

会場:

奥宮:そういう意味でも、なくてはならないものです。

内坂:なるほど。上田さんはいかがでしょうか。

上田:僕は、トレイルランニングは「五感を使って楽しめる」スポーツだなって思います。まず山の中だと、ロードとは違う大地の凸凹を感じることができます。花や木々の美しさからは、四季の移り変わりを楽しむことができますし、鳥のさえずりや風の通り抜ける音を聞くとすごく心が癒やされるんです。こんなにも身体の五感を使って楽しめるスポーツはないよなって思うんですよね。

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奥宮:確かに、たまに第六感も働くこともあるよね。笑 

会場:

内坂:奥宮さん自身が五感を使ってピンチを乗り越えたときとかってありますか?

奥宮:ありますね。第一回のUTMFのときに、ジェルをもらい忘れちゃったことがあったんです。エイドを出てからジェルがないことに気づいて戻ったんですけど、もうサポーターもいなくて。なのでうす皮あんぱんを2個もらって、また進んだんです。

でもそれでは当然足りないので途中でハンガーノック状態になって、これはやばいなって思いました。そのとき目の前にたまたまツツジが咲いていたんです。「これは、舐めたら美味しいぞ!」と思って蜜を吸ってもたら、すっごく苦くて、本当にひどい味でした。

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奥宮:という、味覚の話です。笑 そしてあとキレイなお花を見れたという視覚の話と、匂いもよかったので嗅覚の話と。笑

内坂:途中からどこに話が行くのかと思ったんですけど、そこでしたか。笑

奥宮:ちゃんとオチがついてよかったです。笑

UTMF:ウルトラトレイル・マウントフジ (ULTRA-TRAIL Mt.FUJI)の略称。富士山の周囲を走るコースレイアウトで、日本・アジアで最初に設置された国内屈指の100マイルレースで、海外からも大勢のランナーが参加する。


海外と日本、どんなところに差がある?

内坂:おふたりは海外のレースも良く出ていると思うのですが、海外と日本の違いってどんなところにあると思いますか?

奥宮:2年ほど前にアディダスのキャンプで集まった選手たちと一緒に走っていたんですけど、彼らが日本じゃ考えられないような危険なところをガンガン攻めていたんですね。そのときに、日本じゃ絶対そんな危険なところ行かないよって彼らに話したんです。そしたら、「なんで走らないんだ?それがトレイルランニングの楽しさだろ」ってサラッと言ってて。

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奥宮:その時に、確かにそうだよなって思ったんです。ヒヤヒヤするようなところを自分の力量の中で走っていくことも、トレランの楽しさのひとつであると思うんです。日本では安全ばっかりが先行しているんですけど、それだけじゃトレランはできなくて、そのあたりの意識の違いが外国の選手とはあるんだろうなって思います。

内坂:非日常の世界をトレイルランニングを通して楽しむことができるんだから、せっかくだったら攻めていこうよっていう意識ですよね。

奥宮:決してこれはトレランをやったことのない人に、危険な場所を攻めないと魅力がわからない、って言ってるわけではありません。自分の力量にあった場所を走るっていうことは、トレランの楽しみ方のひとつだと思います。

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内坂:上田選手はまさしくそういったいわゆる危険なところを攻めているわけですけど、それ以外の魅力ってありますか?

上田:僕はスカイランニングという領域なので、確かに少し危険かもしれませんね。海外との違いとして言えるのは、街と山の距離がすごく近いなって思います。街に住んでいる人たちにとって山に入ることは日常なんですよね。

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上田:だからこそ山を走ることはリスペクトされるし、ガイドさんやレスキューに関してもリスペクトの気持ちが街の人たちもあるので、そういうところは違うかなって思います。

内坂:UTMBもそうです。シャモニーに帰ってくる選手に対しての拍手や迎え方って素晴らしいですよね。あたたかさとリスペクト、山を愛する人への愛情をものすごく感じます。

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内坂:トレイルランニングに限らず、日本では山で遊ぶことや海で遊ぶということが、遊びでしかないという意識で見られることが多い気がします。でも海外の場合は、遊びといってもそれは人生の大事な引き出しのひとつであり、生活の一部であるというふうに、ちょっと違う感覚で捉えられているなって思います。

UTMB:ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(仏: L'Ultra-trail du Mont-Blanc)の略称。フランスのシャモニー=モン=ブランで毎年8月末に開催される、ヨーロッパアルプスの最高峰モンブランを取り巻く大会。フランス、スイス、イタリアにまたがる山岳地帯を走る。


ふたりが主戦場とするレース

内坂:ふたりがメインとして走っているのはどれくらいの距離になるんですかね?

奥宮:私は100キロ以上のウルトラというカテゴリーですね。

上田:僕はスカイランニングというカテゴリーで、大体20〜70キロくらいですね。

内坂:山を走るレースでも、長い時間がかかるレースもあるし、3〜4時間くらいで終わるものもありますよね。レースが変わると準備も変わってくると思うのですが、おふたりはどんなことを大事にしていますか?

奥宮:ウルトラに関しては大きく2つあると思います。ひとつは折れない心。もうひとつが補給ですね。補給計画がうまくいかないとハンガーノックになったりするので、計画は結構入念にしてます。

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奥宮:過去のリザルトとかをエクセルにいれて、カロリーなども計算して走りますね。補給計画をしても実際のレースだとうまくはいかないことはもちろんあります。でもハプニングがあったときこそ、いかに気持ちを切らさずに走るかということも大事だと思います。

内坂:今も計算ミスってありますか?

奥宮:たくさんレースに出てるのでだいぶやり方は覚えましたね。時計のアラート機能も活用して、30分起きに補給するようにしてます。危険な場所だったらフラットのところで摂るなど、そこは徹底してますね。

内坂:なるほど。折れない心を持つためには何が必要なんですか?

奥宮:本音を言っちゃうと、これでいい結果が出れば、賞金がもらえると思って走るときもありますね。もちろん、応援がないと頑張れないですし、皆さんに気持ちを支えてもらっていることも確かです。

内坂:上田さんは距離が短く、半日くらいで終わることも多いとは思うんですが、戦う上ではどんなことを大事にしていますか?

上田:いつもやっているのは、レースの前から自分は強いんだと自己暗示のように言い聞かせることですかね。レース中は気持ちで負けてしまうこともあるので、寝る前に自分は強い自分は強いって念じてみたり、自分の足によろしくねって語りかけたりしてましたね。…気持ち悪いですかね?笑

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内坂:なるほど。それ以外の補給とかのコツってありますか?

上田:スカイランニングは基本速さを求めているので、割と軽装で登るんです。エイドステーション自体も多いので、荷物を持たなくてもよかったりすることが多いんですよね。 そしてウルトラみたくサポートスタッフも置けるので、自分が飲み慣れている飲み物を用意することもできますね。

内坂:奥宮さんは30分に1回補給しているということでしたけど、上田さんは?

上田:そこまでシビアにはやってないですね。スピードも結構速くて呼吸も荒れるので。もちろん距離が長くなればなるほど補給するタイミングは多くなりますけど、綿密にカロリーを計算したりとかはやってないですね。

奥宮:自分も短いレースのときはなんも考えていないですね。30キロだったら摂らずにいけちゃうこともあるくらいです。


一番心に残っているレースは?

内坂:レースの話になりましたけど、次にお聞きしたいのは、今まで走ってきた中で1番心に残ったレースについてです。大失敗でも大成功でも構わないのですが。

奥宮:私は間違いなく第13回のハセツネですね。初めて出たトレイルランレースです。その時、ロードのハーフが1番長い距離だったので、71.5kmの山道をザック背負って走るなんて冗談だろ?って思いながらチャレンジしました。最初は面白そうだからやってみるか、みたいな気持ちで走り出しました。

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奥宮:その日はスタートからゴールまでずっと雨だったんですよ。山の中もグチョグチョで両手両足使ってなんとか進めるみたいな感じでした。そして、ヘッドライトを使うのも初めてで。

内坂:ちょっとタンマ。事前に練習はしたの?

奥宮:近くの森で簡単なテストはしましたよ、付け方とかくらいですけど。そのときは1人目の子どもが生まれたばかりで、お店で1番安いやつを買いました。

そして夜に山の中へ入って行って、真っ暗で雨だったので、光が乱反射して前も全然見えなくて。思うように進めなくて、結局トボトボ歩いていたんですよ。そしたら後ろから横山峰弘さんが来て、どうしたの?って聞いてくれて。ヘッドライトの使い方がわからないんですって話したら、手で持って足元を照らすことを教えてくれたんですよ。その後ずっと横山さんが一緒に走ってくれて、いろいろとハセツネの戦い方などを教えてくれたんです。

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奥宮:そしたら鏑木選手が後ろから来て、横山さんもスイッチがカチッと変わったみたいで、そのままふたりがすごいスピードで行っちゃったんですよね。私もふたりを一生懸命追いかけたんですけど、岩山の下りで足を滑らせて、大きく尻もちをついてしまったんです。

右手でライトを持っていたので、左手でお尻を触ったらなんだかお尻が陥没している感じがして。おかしいと思って右手から左手へライトを持ち替えて、右手でお尻を触ったんですよ。そしたら陥没もなにもなかったんです。なんだ?と思って手を見たら左手が脱臼骨折してたみたいで、90度あらぬ方向に曲がっていたんですよね。左手でお尻を触って陥没してた感じがしたのは、実は手の方が怪我してたってことだったんだなってあとから気付いたんです。

内坂:それはすごい話ですね。

奥宮:これはもう、走ってる場合じゃないって思って、長尾平でお医者さんに診てもらうときに、僕もう辞めますってって伝えたんです。

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奥宮:そしたらお医者さんが、「あなたが1番早く病院に行く方法は、あなたが走って病院に行くことです。」って言われちゃって。笑 指はなんとかしてあげるからって言われて、その場で思いっきし伸ばしてもらって、90度が60度くらいになったんです。そしてそのままガムシャラにフィニッシュしたんですけど、これは本当に心に残るレースでしたね。

上田:それが初レースですか。笑 すごい体験。

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内坂:そのとき何番だったんですか?

奥宮:その時は3番でしたね。私は大学時代箱根駅伝を目指してたんですけど、結局最後まで走ることはできなかったんです。ずっと控えの選手で、箱根駅伝のゴールした人をタオルでくるんであげる係でした。その悔しい経験から、走るのが大嫌いになってしまって。その後に心臓の不整脈も見つかったんです。それまでは走るたびにずっとしんどくて、「お前の気持ちが弱いんだ」と監督から言われ続けたりして、走るのをやめようとも思ったことも何度もあります。

そんな中で心臓の手術をして、治った後の復帰レースがハセツネだったんですよね。そんなたくさんの思いを抱えた中でハセツネで3位になれて。

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今まで走るのが嫌で嫌でしょうがなかった。それでも心臓の手術をして、全然苦しくなくなって、走るの超気持ちいいじゃんって思えるようになったんです。

ハセツネってフィニッシュにカメラがたくさんあるんですよ。その時に初めて自分が活躍できる場所を見つけた感じがして、こんなに楽しいレースがこの世にあったんだって思ったんですよね。衝撃的で忘れられない、私の人生が変わってしまった。それが私のハセツネ、心に残るレース体験ですね。

内坂さん:なるほど、ありがとうございます。それでは上田さん。 一番気持ちよかったレースは先週のレースだと思うんですけど、それはあえて聞くまでもないので、他にはありますか。

※先週のレース:10月19日(土)、イタリア・ロンバルディア州・リモーネで開催された2019年シリーズ最終戦のこと。上田選手はこのレースで優勝し、日本人として初の快挙である年間チャンピオンに輝いた。

上田:先週のはだめですか。笑 そしたらやっぱり僕もハセツネですね。それも、2014年に大会新記録を出した時ではなくて、初めてハセツネを走った時ですね。

その時のハセツネはトレラン2戦目で色々緊張していたんですけど、 近藤敬仁さんに1秒差で負けたんですよね。結果は6位だったんですけど。 それが悔しくて悔しくて、そこから次からは負けたくないみたいな感じで、トレランにのどんどんめり込んでいきました。

内坂:その1秒ってどこから1秒差になったの?最後の最後で?

上田: ナイトセクションに入ってたんですけど、抜きつ抜かれつの後、しばらく僕が先行していたんですよ。 最後にトレイルを出てアスファルトがあるんですけど、あそこを降りた時に後ろから歓声が上がったんです。それまでは1回も振り返ってなかったんですけど、マジかって思って。もうあとゴールまで500メートルぐらいだったんですけど、最後、近藤さんに猛ダッシュでかわされて、1秒差で負けるっていう展開でしたね。

内坂:本当に最後の最後で抜かれたってわけね。

上田:本当にキロ3で走っているんじゃないかっていうぐらい猛ダッシュだったんですけど、それでも1秒差で負けちゃったんで。悔しかったし、そこからは燃えましたよ。

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内坂:おふたりともハセツネが燃えるきっかけだったんですね。

奥宮:翌年、瑠偉がそこ(ハセツネ)で7時間1分ていう大会新記録を出したんです。その時に忘れられないのが、最初の神社のところで瑠偉が猛ダッシュで駆け上っていったんですよね。今までの選手たちを見る限り、そこを勢いよく上っていく人は後半バテるんですよ。それを見た時にこいつバカだなあ、このまま落ちていくぞって思ったんです。

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奥宮:でも俺が間違えてました。そのまま最後まで行っちゃって。その時の瑠偉の背中が、ラオウみたいな感じでしたね。背中から出るオーラが、あの時は凄かったなあ。

内坂:あとレースは、今までとは違ったレースだったんですか?

上田:その時はどこも苦しいところとかきついところがなくて、ゾーンに入っているような感覚でしたね。 今は世界一になったりとか実力をつけていて、おそらくその時よりは全然強くなっていると思うんです。それでも未だに、あの時の7時間1分のコースレコードを破れるイメージはつかないですね。

内坂:それは自分自身でもイメージがつかないってこと?

上田:もちろん天候とかには左右されるんですけど、全然イメージがつかないかな。

奥宮:私だったら想定もできないですね。自分の中でスタートからそれぞれのポイントをスーパーベストなタイムで走ったとしても、7時間1分はいけないです。夢にも思わない。それぐらいすごいっていうことですね。


大会を運営するということ

内坂:奥宮さんは実際に大会の運営もなさってると思います。いかに選手たいに楽しくレースに参加してもらうために、いろいろなご苦労があるかとは思いますが、1番大変なところはどんなところですか?

奥宮:大会を運営するに当たっていろいろなところに許可をとらなきゃいけないんですよ。いろいろな資料を出して許可をとらないといけないのは骨が折れますね。あとは台風とかの自然災害も。今年は特に大変で、私の大会は中止になってしまって。あちこち道路が陥没してしまって。自然災害に合うのは大変だなって思いましたね。

内坂:コースが陥没してたり倒木があったりする中で、選手をいかに安全にゴールさせるかだとは思うんですけど、奥宮さんの大会ではどんなふうに安全管理をされていますか?

奥宮:運営本部と救護本部、救助本部が別にあって、それぞれ部門ごとに業務に専念する形ですね。マーシャルの方も野外救急法の経験がないと基本はお断りをしています。野外救急法の事前の講習会も何回か開催をしていて、会社としてマーシャルを育てていく、ということも行ってます。

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内坂:上田さんはまだ大会運営をされたことはないとは思うんですけど、選手から見て、大会側に求めることはなにかありましたか?

上田:国内では山小屋運営のヘリコプター問題もありましたけど、ヨーロッパではヘリコプターをガンガン飛ばせるんです。僕がやってるスカイランニングでは常にヘリコプターが待機しているし、だからこそ危険なところに行ってもすぐに救助することができる。日本の大会ではヘリコプターを出動させることはまず無理ですし、そこの安全管理のところで海外との差は感じますね。

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内坂:最近国内の大会で、道に迷って遭難してしまうことが問題に挙げられます。その対策としてGPXデータを時計の中にいれて走ることを大会側が推奨しているところもあるかと思うのですが、奥宮さんの大会でも公開はしていますか?

奥宮:はい。実際に私が走ったコースを公開しています。実際時計にいれて走ってくれれば、ほぼ正確にナビゲーションしてくれます。

内坂:上田さんが出ているワールドシリーズでもデータはでていますか?

上田:出ていますね。スピードが早い分、大会中は瞬時にコースの判断をする必要があります。試走する際にはコースのマーキングがないことがあるので、GPXデータをいれて確認しながら回ったりしますね。

内坂:GPXデータの話をしていますけれども、SUUNTOやGARMINの時計を持っていれば、もとの場所に戻ることができます。それがあれば絶対に迷うことはありませんし、スマートフォンを持っていれば、YAMAPがあります。

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内坂:地図を読むとかマーキングを見逃さないことは大事なのですが、せっかく持っているのですから、ぜひ使ってください。GPXデータが出ているなら、必ず入れて所持してください。それを使えば、道迷いで遭難は必ずなくなるはずです。土砂降りや暗闇でも問題なく使えますので。

奥宮:私の主催する大会の話でいうと、参加費だけで26,500円するんです。正直高いとも思います。だからこそ来てくれた人には、26,500円以上の価値を感じてもらいたいと思っています。それに地域にお金を落としていってもらいたい。でも会社だから、利益も出さないといけない。そのバランスが難しいんですよね。

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奥宮:利益を出そうと思えば、エイドの質を下げればいいけど、私の大会はそれは絶対にしたくない。だから地元の名産物をエイドに出したり、ドリンクも業者から直接は卸さずに、地元のスーパーに卸して、そこから買ったりする。みんなが満足する形にして、お金のバランスを考えるようにしています。私の大会は行政からお金をもらったりはせず、エントリー費だけで運営しています。金銭面での苦労は結構ありますね。

内坂:大会では走れる人数も限られますよね。安全も確保するとなると。

奥宮:宿泊のキャパや電車のキャパを考えるとそうですね。安全に関わるところはだいぶ形になってきたので、これからは満足度もあげれるようなものにしていきたいです。会場を華やかにしたり、参加賞も良いものにしていきたいですね。

あとは、若いトレイルランナーが憧れるような車に乗ったりもしたかったりもしますね。これからの世代が世界を見据えていく中で、プロになればあんな車を乗れるんだということ見せてあげたいです。


ウルトラレースの魅力って?

内坂:ウルトラの魅力ってどんなところにあるんですかね。

奥宮:20時間とか途方もなく長い時間を走るわけなんですけど、調子が良いとその時間の中で苦しい時間がないんですよね。楽しいし、景色もいいしご飯も美味しく感じれるときがあって。その感覚は、20〜30キロのレースじゃ味わえなくなるんですよね。100マイル走った後のあの達成感を味わいたいってなるんです。

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長い距離を走っていい結果を出すことの感覚は、人生においても本当に代えがたいですね。小原選手もUTMBでTOP10に入ったりしてましたけど、彼にはどんな世界が見えてるんだろうって想像するだけでたまらなくなりますね。俺も見てみたい!って気持ちが収まらないです。

内坂:ウルトラの場合はなにかミスをしてしまっても、リカバリーができるっていいますよね。奥宮さんの場合はなにか失敗をしてしまったけど、それを挽回したことってありますか?

奥宮:UTMFのときは本当に辛くて、あまりにヘロヘロだったので、スタッフも奥宮だめだなって思ってたらしいんですよ。そこのエイドが静岡だったんですけど、そこにあったかい緑茶があったんですよ。そこで緑茶を飲んだら、不思議と気持ち悪さがなくなったんですよね。その後の登りもキツくて、これまたやばいなって思ったんです。そこでまたサポートスタッフにお茶をいれてもらったら、また復活したんです。お茶、すごいんですよ。ウルトラで気分が悪くなったらお茶ですね。緑茶です。

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内坂:上田さんも長い距離走ってますよね。

上田:2015年の2月にアメリカで100キロ走りましたね。その時は5位か6位で、その年に初めてUTMBに行きました。

内坂:UTMBの話もぜひ聞かせてください。

上田:2015年にUTMBのCCC(100km)に出て、初めての大舞台だったんですけど、先頭集団についていったあげく見事に撃沈して。終盤にはふくらはぎに心臓があるような痙り方をしてましたね。結果は51番という屈辱的な順位で、女子選手にも何人か抜かれました。翌年のCCCでは熱中症対策を念入りにして、エイドではキンキンに冷やしたバスタオルをかけたりしてました。結果、なんとか2位を取ることができたんですけど。

内坂:奥宮さんの言う達成感の気持ちよさってあったんですかね?

上田:ありましたね。100マイルほどじゃないですけど、自分の肉体の限界を超えて走り抜いた先にそういった賞が待っていることは、スカイランニングではなかった喜びですね。

トレイルランニングを広めたい

内坂:上田さんも今ではプロのトレイルランナーになっていますが、周りにどのような影響を与えたり、トレランの見られ方を広めたいですか?

上田:プロとして子どもたちが憧れる職業、スポーツになってほしいなって思います。奥宮さんはこうして大会を運営していますけど、僕は僕の道を走っていきたい。競技だけで食っていけるようなアスリート像を作っていきたいです。

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上田:これまでのトレランって割とドメスティックで、なかなか外から評価を受けることのできるような環境ではなかったと思っています。そこで僕はトレランに関係ないところからスポンサーをもらったりして、トレランの認知度を上げたい。十分な収入を得て、海外遠征にもサポートを受けながらやっていきたいです。今回もそのおかげで優勝できたという経緯もあるので。

だからこそこれからは、走ることへの道筋を広げていきたいです。例えば箱根駅伝とかで燃え尽きずに、大好きな走ることって、こんなおもしろい場があるということを示したい。若い世代につなげていきたいなって思っています。

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内坂:それでは、そろそろ時間が来たようですね。次はおふたりと皆さんとで、実際にランセッションです。そのあとに、この場所で懇親会ですか。ぜひ気をつけて行かれてください。それではまず第一部ということで、本日はありがとうございました。

End.

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