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YAMAPの歩みと、目指す未来

登山地図GPSアプリ「YAMAP(ヤマップ)」を普段からご利用いただき、ありがとうございます。カルチャークリエーションチームの石田です。

2023年は、YAMAPが10周年を迎えるアニバーサリー・イヤー。おかげさまで、現在では累計350万ダウンロード(2023年1月)を突破するまでになりました。本年度も引き続きご愛顧のほど、よろしくお願いします。

さて、最近では、優れたサブスクリプションサービスを表彰する『日本サブスクリプションビジネス大賞2022』のグランプリ受賞などを通して、山を登らない人にもYAMAPという会社について興味、関心を持っていただく機会が増えてきました。

そこで、YAMAP代表の春山慶彦が起業した理由から、事業の目指すあり方、山を登る魅力まで、あらためて紹介できればと思っております。

2019年春、雑誌『サンガジャパン』様に取材いただいたインタビュー記事が、上記を網羅しているため、今回、サンガ新社編集部のご協力を得て、このnoteでも掲載させていただくことになりました。

 (以下、雑誌『サンガジャパン』の2019年春号の記事を転載します)

山とマインドフルネス

登山愛好家にとって手放せない「YAMAP(ヤマップ)」は、電波が届かない山の中でも自分の現在位置が正確にわかるスマートフォン用のアプリである。登山好きの人たちの間で話題となってユーザー数を徐々に増やし、ダウンロード数は122万件(2019年取材当時)を突破。月間ページビュー数は約1.5億(同)で、登山用としては日本最大規模のユーザーを誇る人気アプリだ。YAMAP代表の春山慶彦氏は、YAMAPを経営する一方、「山にはマインドフルネスも含め、すべてがある」と発言するなど、瞑想やマインドフルネスへの造詣も深い。1980年生まれの若き社長にYAMAP起業の歩みから山でのマインドフルネス体験について、様々な角度からお話を伺った。

【春山慶彦のプロフィール】

株式会社ヤマップ 代表取締役CEO
春山 慶彦(はるやま よしひこ)
1980年生まれ、福岡県春日市出身。同志社大学卒業、アラスカ大学中退。ユーラシア旅行社『風の旅人』編集部に勤務後、2010年に福岡へ帰郷。2013年にITやスマートフォンを活用して、日本の自然・風土の豊かさを再発見する“仕組み”をつくりたいと登山アプリ「YAMAP(ヤマップ)」をリリース。アプリは2023年1月時点で350万DL。国内最大の登山・アウトドアプラットフォーム。 

■ YAMAPを作ったきっかけ

——ウェブメディア「FINDERS」で行われた「FINDERS」編集長・米田智彦さんと建築家・谷尻誠さんとの鼎談の中で、春山さんは「ぼくは山にはマインドフルネスも含め、すべてがあると思っています。」とおっしゃっていました。また、春山さんは知る人ぞ知る雑誌『風の旅人』(ユーラシア旅行社)の編集部にいらっしゃったご経験もあります。本日は、『風の旅人』からYAMAPへの道のり、そして「山とマインドフルネス」について、お話を伺えればと思っております。まずは、YAMAPを作ったきっかけからお話いただけますでしょうか?
 
ぼくは起業家になりたいという思いはもともと持っていなかったんです。ただ、自分の仕事を通して社会にインパクトを与えたいという思いは昔から強く持っていました。その手段がたまたま起業という形になって、YAMAPに結びついたのだと思っています。

なぜ自分が起業しYAMAPを経営しているのか。自分でもときどきわからなくなるときがあります。誰かに動かされているような気になったりもして。誰かというのは大いなる宇宙と言ってもいいかもしれませんし、神様と言ってもいいかもしれません。ぼくという命を通して「これをやりなさい」と言われているような感覚になるときが時々あります。

ぼく自身は自己実現のようなこだわりを持っていないので経営をやれていると思います。自己実現や自分の幸せだけを考えるのであれば、経営なんてしない方がいいです、経営は修行なので(笑)。命のバトンをつなぐリレーの一員という感覚があるので、YAMAPという事業を通して、何を今の社会に問いかけ、何を次世代へ残せるのかということにフォーカスしています。

経営であれ、スポーツであれ、アートであれ、手段は違っても目指すところは似ていると思います。そこは自分ではコントロールできない神様の領域のようなもの。稲盛和夫さんがおっしゃるように、経営者は謙虚、感謝といった気持ちが強くなるのは、必然だと実感しています。

ぼくが今、大事にしなければいけないと思っているのは、YAMAPを始めようと思ったときの純粋性を汚さないことです。もし汚すようなことをしたらこの事業はおもしろくなくなる。ぼくがまともになったり、小賢しくなったら、しょうもない事業になると思います。そういうことを最近、感じているところです。

■ 写真家を志す

春山の登山との出会い(2000年20歳のころ、山を教えてくれた恩師夫妻と)

 ——山にはいつ頃から登るようになったのですか?
 
20歳のころからです。屋久島にも行ったのですが、それは田口ランディさんの『ひかりのあめふるしま屋久島』(幻冬舎文庫)を読んだのがきっかけです。「ああ、こんな世界があるんだ」と知って、行こうと思いました。その後、星野道夫さんの本にも出会ったりして、興味が自然へと広がっていきました。

民俗学の宮本常一さん、人類学者の鶴見良行さん、歴史学者の網野善彦さんの本にも影響を受けてます。その当時まだご存命で京都にいらっしゃった哲学者の鶴見俊輔さんのお話を年に2、3回聞きに行ったりして、そこから今西錦司さんなどの本も読むようになりました。

彼らに共通しているのは、風土と人間の関係性を深く考察していることです。今の都市化社会は風土との結びつきが弱くなっています。その結びつきをどう取り戻せばいいのか、風土とのつながりをどう表現すればいいのか。そのことを20代のころから悶々と考え、その表現手段として写真を選び、写真家を志すようになりました。
 

氷上でアザラシを探す(イヌイットのアザラシ猟に同行ときの様子)

——アラスカにも行かれたのですよね。
 
ぼくが多大な影響を受けた星野道夫さんは、アラスカを舞台に活動されていました。彼の本や写真集はもちろんのこと、彼がいいと勧める本も片端から読みました。不思議なほど、ぜんぶおもしろかった。彼は人間を含めた自然を写真と文章で表現していて、読んでいると「ぼくがやりたいことはこれなんだ!」とデジャブのような感覚になりました。それで、自分の眼でアラスカの世界を見るしかないと思い、アラスカの大学に行くことにしたのです。

アラスカ州デーリング村。イヌイットの家庭にホームステイしたときのサケ漁の様子

アラスカでは、イヌイットの方たちにお世話になりながら、彼らのアザラシ猟やクジラ猟に参加させてもらいました。自分の手で動物を獲ってさばいて食べたり道具にしたりすることを、狩猟を通して経験しておきたかったからです。アラスカでならそういう経験ができるのではないかと思ったのも一つの理由です。アラスカもアメリカの一部なので、今はそういったネイティブの文化も縮小傾向にはあるのですが。

アラスカ時代の春山。白夜の中、イヌイットの子どもたちと遊んで泥だらけ

——アラスカに行って、それから『風の旅人』に関わるようになったのでしょうか?
 
その当時、ぼくが最高のグラフィック雑誌だと思っていたのが『風の旅人』でした。写真家として生きていくためにはこの雑誌の編集長に受け止めてもらえる写真を撮らなければと思いました。

それで、アザラシ猟やクジラ猟に参加させてもらったときに撮りためていた写真を『風の旅人』に送りました。ただ、編集長の佐伯剛さんは、『風の旅人』を読んでいる方ならお分かりだと思いますが、気迫がこもった雑誌作りをしていますから、これはただ写真を送っても相手にしてもらえないだろうなと思いました。

それで「ぼくは本気です!」という思いを佐伯さんに伝えるために、『風の旅人』を読んで印象深かった文章を書き写していたノート5冊と、それから愛読していた佐伯さんのブログをプリントアウトしたもの、そういった資料を写真に添えて、手紙とともにアラスカから送りました。

有り難いことに、佐伯さんはぼくの気持ちを受け止めてくださいました。ぼくの写真が『風の旅人』に掲載されることはありませんでしたが、佐伯さんから「日本に帰ってくることがあったら編集部に遊びに来ていいよ」と言われて、それで遊びに行って話をしたのが『風の旅人』とご縁ができたきっかけです。

それから1年半後、アラスカから日本へ帰ってきたときに、佐伯さんへご連絡したら、「翻訳の仕事があるからやってみないか」と声を掛けられました。翻訳の仕事をやり終えた後、「編集部で働きたいなら来てもいいよ」と誘われました。20代で自分が尊敬する人のもとで働くのは貴重な経験だと思い入社した、というのが『風の旅人』に携わることになった経緯です。

■ 写真を撮ることだけが写真家の仕事ではない

ヤマップの福岡オフィスに飾られている星野道夫さんの写真

——『風の旅人』ではどのようなことを経験されましたか?
 
写真家というのは、視覚芸術の仕事。つまり、人間の見る力をいかに広げるかという仕事です。

ぼくはかつて、カメラを持ってパチパチ写真を撮るのが写真家の仕事だと思っていました。しかし、佐伯さんと一緒に仕事をする中で、カメラを持って写真を撮ることだけが写真家の仕事ではないと知りました。

ある1枚の写真の横にどの写真を置くとその写真たちがより際立って、世界が浮かび上がるか。あるいは写真の横にどんなコピーや文章を書くとよいのか。そういったデザインや文章も含めて写真家の仕事であるとわかりました。

すると、書店営業の仕事で人の心に届くようなプレゼン資料を作ったり、言葉を届けたりするのもすべて写真家の仕事と同じではないかと感じるようになりました。

そういった経験を重ねるうち、次第に自分の写真に対する凝り固まった枠がどんどんなくなっていきました。すべての仕事は視覚芸術であり、全部がつながったような感覚になったのです。

『風の旅人』でのこういった経験がなかったら、アプリをつくろうとかYAMAPをやろうという発想にはならなかったと思います。

■イノベーション=編集知

 『風の旅人』ではイノベーション、すなわち編集知についても学びました。イノベーションとは、ゼロから1を立ち上げるのではなく、別々にある1を組み合わせて3にしたり100にしたりする作業です。

『風の旅人』がイノベーションだったと思うのは、白川静さんや養老孟司さんの文章に、水越武さんや細江英江さんのような超大御所の写真を組み合わせ、テーマ性を極限にまで高めて1冊の雑誌に仕上げ、世に問うていたことです。これはまさにイノベーションだったと思います。

ただ『風の旅人』は紙にこだわっていたので、それがビジネス上のネックになってマイナーな領域を抜けきれませんでした。とはいえ、そういった発想自体は勉強になりましたし、ぼくの血肉になりました。だから今でもぼくの得意領域は編集知だと思っています。

YAMAPはスマートフォンと自然を組み合わせたサービスです。山など自然の中では、オフラインのエリアが圧倒的に広大なので、スマートフォンと自然なんて組み合わせられるものではないという先入観が、世の中にはあったと思います。「そもそも山の中ではスマートフォンなんか使えないじゃん」と。

確かにスマートフォンが出た2008年ごろは、iPhoneはまだ使用に耐えられるレベルでしたが、Android端末のGPSは全然駄目でした。バッテリーも持たなかったですし。

でも、いずれスマートフォンの性能は向上していくだろうし、通信機器とGPSが結びついたデバイスであるスマートフォンには、可能性を感じていました。自然の中であっても、スマートフォンのGPSが活用できたら、遭難者を減らすことができるかもしれない。自然の中において、スマートフォンは単なる便利な道具なのではなく、命を守る道具になり得る可能性があると直感したんです。

その意味ではYAMAPも組み合わせの妙であり、一つの編集知でできあがったサービスだと思います。

電波の届かない山の中でも現在位置がわかるGPS機能と、山の記録を共有できるコミュニティ機能の両方をYAMAPアプリで展開したことが、YAMAPの成長につながった

■ 震災とYAMAPの接点

——YAMAPのアイデアがひらめいたときのお話を聞かせていただけますか?
 
星野道夫さんの影響や『風の旅人』での経験、アザラシ猟やクジラ猟の体験を積み重ねて、写真を志した人間として視覚を生業にどんな仕事ができるのだろうかとずっと考え続けていました。

そんなときに2011年の3.11の震災がありました。震災の経験や震災で得た深い悲しみを、仕事や仕組みに転換して社会に届けようと考えました。

ぼくは、あの原発事故は風土に対する思いが弱くなった結果ではないかと思っています。表現が難しいのですが、原発に賛成か反対かの前に、原発をやるなら徹底してやるべきだと思うんです。

地震がこれだけ多い国に原発を作るということを真剣に考えるのであれば、どんなに地震があっても耐えられるだけの原発にするとか、本当に海の近くでも安全なのかを、もっと検証するとか。その上で、「絶対に安全な」原子力発電が無理なのであれば、日本の風土にあった代替案を探すべきです。

そこを考えずに来てしまったツケが、福島の原発事故につながってしまった…。原爆を落とされた初めての国で、66年後、今度は自分たちがつくったシステムで被爆し、故郷を失くしてしまった方たちが今もいるという現実は耐えがたいです。

原発事故は風土から離れてしまった人間の知恵の限界を象徴する出来事だと思うと、もう一度、今の時代に合う形で、風土との結びつきを深めるようなことができないかと、震災後は悶悶と考えていました。

YAMAPを着想した大分県くじゅう連山

YAMAPを思いついたのは震災後の2011年5月に大分県の九重連山を歩いていたときのことです。山の上でスマートフォンのグーグルマップを開いたら、画面が真っ白い地図になっていて、自分の現在位置を示す青い点だけが表示されていました。「やっぱりスマートフォンは山では全然使えない」と思いました。

ところが、1時間ほど歩いた後もう一度グーグルマップを開くと、現在位置を示す青い点が移動していたのです。そのときに気づきました。位置情報は地上の電波ではなく、宇宙にあるGPS衛星から拾っているのだと。

であれば、地図データさえあらかじめ端末に保存しておけば、電波が届かない山の中でもスマートフォンで現在位置がわかるのではないか。スマートフォンを山のGPS機器として活用できるのではないかと閃きました。この仕組みを思いついたとき、ぼくの体に電撃が走りました。

東京の電車に乗るとよく思うのですが、みんなスマートフォンばかり見ていますよね。つまり今は雑誌や紙ではなく、スマートフォンが世界とつながる窓口になっている。だからスマートフォンを媒介にして、多くの人にアクセスできれば、登山やアウトドアを経験したことのない人にも楽しさを伝えることができるのではないか。

自然の中で体を動かす楽しさを経験してもらえば、自分たちがどういう風土に育まれているかも自ずと感じてもらえるはずだと思いました。

20代で経験したすべてがつながって、自分の命をかけて仕事をしたいと思って始めたのがYAMAPです。

■具現化への道

——構想からアプリの具現化までは、苦労も多かったのではないでしょうか?
 
アプリ制作について、技術的に可能かどうかが全然わかりませんでした。唯一のエンジニアの知り合いである義理の兄に「YAMAPというオフラインとオンラインを行き来する登山サービスをつくりたいのだけど、実現できるだろうか?」と相談しました。

彼が「技術的にはたぶんできるんじゃないか」と言ってくれました。だったらやってみようと思い、福岡にいた天才エンジニアと言われる人に手紙を書き、彼の力を借りながら開発を始めました。

その当時ぼくは福岡に帰ってきたばかりで、明太子屋さんの包装紙や会社案内のパンフレットを作る仕事をしていたので、そこで得た収入を彼にお支払いして作ってもらいました。

オンラインとオフラインを行き来するサービスで、WEBとアプリ、当初はiOSだけでしたけれど、想像以上に開発が大変で1年10カ月かかりました。そのときが精神的には一番きつかったですね。

■ 生きることに意味はない、あるのは経験

——ウェブメディア「FINDERS」の鼎談で「ぼくは山にはマインドフルネスも含め、すべてがあると思っています」と発言されていました。なぜそう思われたのでしょうか?
 
ジョーゼフ・キャンベルさんの『神話の力』(早川書房)という本があります。ぼくが大事にしている本の一冊です。彼の言葉に「Follow your bliss.(いのちのときめきに素直になる。)」という言葉があります。ぼくはこれを「生きることは意味じゃない、経験だ」と解釈しています。

つまりこの瞬間この瞬間に、生きていることが実感できる経験を積み重ねていけば、それが意味になるし、自分の存在意義になる、それが命の根本だと思うのです。例えば、このテーブルの上に、コップがあるとします。コップにあるのは意味ではなく存在です。コップがあることで、まわりが変わる。空気の流れが変わる。存在や経験こそが生きていることだと思っています。

今の都市化社会は、意味の世界が強くなりすぎています。人工物に囲まれた都市で生活をしていると、「生きている」ことを経験する瞬間がほとんどありません。養老孟司さんの言葉を借りれば、「ああすればこうなる」の脳化社会になっている。だから、多様性や寛容性が失われていく傾向が強い。本来は、ああすればこうならない世界(自然)の中で、ぼくらは生きているはずなのに。

意味というのは自分ではない他者がつくった意味でもあります。意味が強くなり過ぎてしまっているということは、他者の物差しが幅を利かせていることでもあります。そこで大事になってくるのは、何か言われたときに自分でやってみて意味をつかむことだと思います。親から「あなたには向いていない」と言われたことであっても、やってみたらうまくいくことだってある。

そういった生きている経験を追い求めていく舞台として、山は最適な場所だと思います。

人間の体や思考はもともと自然の中で生まれたものです。助け合いの文化も自然の中で育まれてきました。山登りでみんなが「こんにちは」と声を掛け合うのも、「自然の中では弱い存在である人間どうしが助け合わないといけないよね、生きていけないよね」というメッセージの裏返しだと思っています。

■ 自分と他者の境界がなくなる

山に行っているときは、自分を外に開いていく感覚があります。それは瞑想にも近いと思います。森も花も、見ているものがぜんぶ自分とつながっているというか、境界がなくなるというか、自分という存在が皮膚一枚を隔てて一体化している感覚です。

山道を一歩一歩、変わりゆく風景を見ながら歩んでいくのと、都市を闊歩しているときの思考のモードはまったく違います。だから悩んでいるときや疲れているときこそ、ぼくは山に行く方が落ち着きます。

「悩んでいたけど、たいした悩みじゃなかったな」、「大事にしたいのは、やっぱりこれだな」と素直に発見できる。外に命を開くことで気づくことができる。

山頂に立って街を見下ろすと、いかに自分たちがちっぽけな存在なのかも実感できます。そのことを実感して都市に戻ってくると、自分たちの住んでいる世界を相対的に見ることができるようになります。都市だけがすべてではない。世界では実際いろいろなことが起きている。

山の中にいると、自分にこだわっているうちは人生って全然楽しくないのだという感覚も得られます。自然の中で体を動かすからこそ、大きな世界の中で自分の命が生かされていることが、胸にストンと落ちるのです。

■ 山でのマインドフルネス

——ヴィパッサナー瞑想の場合、理想的なのはすべてに気づくことですが、山登りでは登っていくにつれて体に負荷がかかり、疲れもたまって頭が正常に働かなくなることもあるかと思います。平地での瞑想と比べて山でのマインドフルネスは観察がぶれるようにも思うのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか?
 
説明が難しいのですけれども、広い意味では「観察しなさい」、「気づきなさい」、「自分がいる今ここに集中しなさい」といったマインドフルネスの思想は山登りにも入っているのではないかと思っています。

マインドフルネスや瞑想をイメージするとき、ぼくはいつも駒を思い浮かべます。駒は勢いよく回転して動いているけれども一点で止まっている。ハイスピードで動いているのだけれど、その速さが静につながっている。動が静になり、静が動になる。あれが瞑想の状態だとぼくは解釈してます。止まっているのだけれども、中ではフル回転している、水の流れのように透明になっている。

このとき、大事になってくるのが呼吸です。呼吸は無意識にアクセスできる唯一の手段でもあります。ですから、呼吸を整えたり呼吸に敏感になることで、観察や感覚が研ぎ澄まされ、皮膚を隔てた世界とのつながりが実感できるのだと思います。
 
一方で、山の瞑想・マインドフルネス感覚というのは、それとは少し違います。自分の動きが激しい分、静の動とは言えない部分があります。風景は変わっていくし、岩場などもあり、登るのに体へ負荷もかかります。

しかし、山の中を歩き続けていると、先ほど言ったような、私とあなた、私と世界といった垣根がなくなっていきます。溶け合っていくと言ってもいいかもしれません。自分が山になるというか、山の存在が自分の中に入るような感覚があります。

人間の思考性は山を包むくらい広い。が、逆に自分が山に包まれているという感覚もある。そういう自他の区別がない感覚を、ぼくはマインドフルネスという言い方で表現しています。

修験もそうですよね。NHKの「SWITCH インタビュー達人達(たち)」という番組で見たのですが、塩沼亮潤大阿闍梨は千日回峰行を、最後は呼吸で歩いていたと言います。呼吸で歩ききると自他の区別がない状態になるのだそうです。千日間、山に行き続けるという負荷をかけることで、仏教の真髄を理解する。それはマインドフルネスというのか瞑想というのかわかりませんが、すごいシステムを発想した人がいるものだなと思いました。

ぼくはヨガを17年くらいやっているのですが、ヨガをやるようになってから、長距離を歩けるようになりました。疲れているときこそ、肚で呼吸をして整えるようにしています。また、息を吸っているとき、吐いているときに何歩歩くかといったことも意識しています。

■ 悩んだときこそ山に登ろう

——最後に、山登りの良さについて読者に一言お願いできますでしょうか?
 
山登りでの心と体の変化は、山から下りてきたあとに、より実感できます。山に行って帰ってくると、翌日、体が全部入れ替わったような、灰汁が抜けたような感覚があります。

また、山の中で見た景色がフラッシュバックされて、広大な自然や山という存在とつながった状態でこの世界を生きているのだという感覚が持てます。それはぼくにとって何よりのよろこびです。すべてが循環しつながっている世界で、自分たちは生きている。そういう世界観に自ずとなるのです。

この感覚は山に登らないとわかりません。納豆を食べたことがない人に納豆の味を説明しても理解できないのと同じで、自分で確かめるしかない。ですから、皆さんも悩んだときこそぜひ山に登ってみてください。その人それぞれの発見が山にはあるはずなので。
 
——やってみなければわからないのは瞑想とも同じですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

取材・サンガ編集部
構成・中田亜希
(オンラインサンガ https://online.samgha-shinsha.jp/

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