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【前編】自然経験こそ、最上の教育|この先10年で大事な人生観・仕事観|株式会社ヤマップCEO春山慶彦

この記事は、2021年10月30日〜31日に開催された「森のようちえん全国交流フォーラムin奈良」にて、株式会社ヤマップCEOの春山慶彦が行った講演を記事化したものです。

講演の様子

本講演では、自然教育に携わる教育者の方々を前に、今という時代・社会の捉え方、これからの企業のあり方、私たちはどう生きるか、そして未来を担う子どもたちについてなどが語られました。クローズドなイベントだったにも関わらず、参加者から大きな反響があったため、より多くの方に届けるためにも、主催者に許可をいただいた上でnoteで記事化する運びとなりました。

講演を聴いているような気持ちで、ぜひご覧ください。

はじめに

まず最初にお断りしておくと、私は教育の専門家ではありません。

ここにお集まりのみなさんは、教育に携わっている方が多いと思います。私は教育には携わっていませんが、みなさんと同じ目的を持っていて、その目的に向かって違うアプローチを取っているだけだと考えています。

今日の講演は、答えがあるわけではありません。私の経験や考えをお伝えして、みなさんとシェアできたらいいなと思っています。

この後、お話することは全部で5つあります。まずは「自己紹介」。続いて「前提の共有」として、"今、私たちはどういう社会に生きているのか"に関して、私の考えをお伝えします。その上で私が手がけている「YAMAPの事業」について。そして「環境と幸福」についてお話し、最後に「自然経験こそ最上の教育」という結論に持っていきたいと思います。

星野道夫と巡礼路に導かれ

私の人生で一番大きかった自然経験は、アラスカ大学に通っていた時、イヌイットの人たちのアザラシ猟やクジラ猟へ同行したことです。

私はもともと写真家を目指していて、その気持ちは今も変わりません。20歳の頃に自然の素晴らしさに気づき、それから星野道夫さんの写真や文章に出会いました。彼の写真集、著作、彼が面白いと思った本を片っ端から読みました。そしたら、ぜんぶ面白かった。「私がやりたいことはこれだ!」というデジャブのような感覚になり、自分の目でアラスカを見なければと思ったんです。

ヤマップ福岡オフィスに飾る星野道夫さんの写真

星野さんが見た世界や、イヌイットやネイティブインディアンの人たちの暮らしを自分の目で見るために、京都の大学を卒業後、アラスカ大学に入り、2年くらいアラスカで過ごしました。アラスカで生活したかったもう一つの理由は、狩猟を経験したかったからです。人間の生きる原点は、他者の生命をいただくこと。自分で生き物を獲って、さばいて、食べ物や道具にする。そういった原初的な狩猟文化が残っている場所はどこかと探したとき、行き着いたのがアラスカでした。

アラスカでのアザラシ猟(撮影:春山慶彦)

その次に大きかった経験は、スペインのカミーノ・デ・サンティアーゴという巡礼路を1,200キロ歩いたことです。2010年、30歳になる前に歩きました。カミーノ・デ・サンティアーゴをご存知の方ってどのくらいいらっしゃいますか? もし機会があったらぜひ歩いてみてください。キリスト教徒でなくても受け入れてくれる素晴らしい道です。

撮影:春山慶彦

なぜこの巡礼路を歩こうと思ったかというと、パウロ・コエーリョさんの『アルケミスト』や『星の巡礼』を読んで影響を受け、30歳になる一つの通過儀礼としてこの道を歩きたいと思ったからでした。

1,200キロを60日かけて歩いていると、歩くことが自然になり、風景と自分の命が溶け込むような感覚になりました。これは登山でも起きる現象で、日に日に自分の感覚が鋭くなってくるんです。カミーノ・デ・サンティアーゴは、風景・暮らし・自然のバランスが素晴らしく、歩いていること自体がよろこびでした。

撮影:春山慶彦

歩きながら、重要なことに気がつきました。それは「この地球はすでに素晴らしい惑星(ほし)なんだ」ということです。歩きながら「私たち人類一人ひとりは、宇宙飛行士なんだ」という感覚になったんです。「地球の外に出かける人だけが宇宙飛行士なんじゃない。生まれた時点でみんな宇宙飛行士なんだ、宇宙飛行士として日々この地球に生き、暮らしている。」そう思った方が、この地球に生まれ、生きていることの奇跡性が実感できる。そう感じました。

私は星野道夫さんや植村直己さんが大好きです。冒険や探検には関心が高い方だと思います。冒険や探検は自分にとっても大事なテーマです。だからこそ思うのですが、今の時代、高い山に登ることや地球の外に出ることは、冒険や探検ではないと思います。宇宙飛行士として自分が住んでいる場所を掘り下げ、「ここが宇宙だ」と捉え、この地球( = 住んでいる地域)を住みやすいままに次世代へ引き継ぐことこそ、21世紀の冒険や探検なんだいう感覚を持ちました。カミーノ・デ・サンティアーゴを歩きながら感じたり考えたりしたことが、後のYAMAPの事業につながっていきます。

3.11の経験を「変換」させ、起業の道へ

次の大きな経験は、2011年5月にYAMAPのアイディアを着想したことです。先ほどもお話したように、私は写真家を目指していました。起業したいとか経営者になりたいと思ったことはありません。ただ、社会にインパクトを出す仕事をしたいという思いは強く持っていて、その思いだけで起業し、今、YAMAPという事業を手がけてています。

起業しようと思ったきっかけは3.11です。私はいまだに、東日本大震災の経験を整理できていません。どういうことかというと、地震はこの国の地理的特徴なのでまだ何とか受け入れられるんですが、原発事故によって故郷を離れざるを得ない人たちがいることをどう受け止めたらいいのか、いまだに整理がつかないのです。

すごい時代というか、とんでもない時代に私たちは生きていると思っています。1945年に人類で初めて原爆が落とされたこの国で、66年後、今度は自分たちがつくった仕組みで被爆し、故郷をなくした人がいる…。

原発事故が起きた時、ものすごく恥ずかしい感覚にとらわれました。過去にここで暮らしていた人たち、今ここで暮らしている人たち、未来ここで暮らすはずだった人たちに、どう顔向けしたらいいんだろう…。

ただ、起こったことは変えられない。私がやるべきことは、震災での哀しい経験をポジティブな仕事に変えて、社会にインパクトを出すことだ、と。そうしなければ、自分の人生に悔いが残ると思ったんです。そんな折にYAMAPを思いつき、そこから狂ったように事業にのめり込んで起業し、今に至ります。

仕事は自分でつくればいい

次は前提の共有です。ここでいう前提とは「私たちはどういう社会に生きているのかを俯瞰して見る」ということです。教育や環境の話に入る前に、この前提を共有しておきたいと思います。
 
一つ目の前提は、日本が今どういう社会にあるかということです。まずは、この100年くらいで見るのがいいと思います。日本は1945年に敗戦しました。戦争に負けて、それまで培ってきた価値観を否定しなければいけなかったことは、未だに尾を引いてると思っています。その後、高度成長を経てバブルがはじけ、成熟社会に向かうのか衰退社会に向かうのか、極めて大事な時代を私たちは生きている。この2020年代の10年が非常に重要です。もし私たちが旧来の価値観のまま生きていたら、地球環境が悪化するか、社会が崩壊するかのどちらか、あるいはどちらも起こるかもしれない。私たちは、変わらないといけない時を迎えていると思います。

二つ目の前提は仕事についてです。仕事も今、大きく変化しています。

このリストは10〜20年後にはなくなると言われている仕事です。AIなどのテクノロジーに代替されたり、理由はいろいろあると思います。ですが、今ある仕事がなくなること自体は、恐れる必要はあまりないと思います。ただ、私たちの価値観は変えないといけない。これからは仕事がなくなるんじゃなくて「今はない仕事」が溢れる。そう思っています。例えば、私が大学生だった2000年頃、アプリ開発という仕事もYouTuberという仕事もありませんでした。つまり、仕事は、社会の移り変わりやテクノロジーの発展に応じて、新しくつくることができるんです。ここはワクワクしていいと思います。

その意味で「どんな職業に就きたいかではなく何をしたいか」。ここが極めて重要です。私は、子どもたちに「将来、何になりたい?」と聞かないようにしています。大人はこの質問を安易に子どもたちにしてしまうんですが、この問いを子どもたちに投げかけると、子どもたちは、今ある職業でやりたいことを答えないといけないという枠にはまっちゃうんです。そうすると、プロ野球選手になりたいとか、お花屋さんになりたいとか、今よく目にする職業で答えざるをえない。でも大事なのは、職業ではなくて、何をしたいかなんです。プロ野球選手になって何をしたいのか、お花屋さんになって何をしたいのか、何をしている時に自分の命がときめくのか。そこを手放さずに職業を選ぶ、あるいは職業をつくらないといけない。そう思っています。

これは生き方の話なんです。生き方で仕事や職業を選ぶ、あるいは仕事自体をつくる。そんな時代に入っていると思います。私はもともと法律家を目指していたんですが、自分には法律の世界は合いませんでした。その後、法律家ではなく写真家になりたいと言った途端、親や周りからいろいろ言われました。しかも、アラスカに行くなんてことを言い出したもんだから、「アラスカに行って食えるのか」「将来どうするつもりなのか」と聞かれました。でも、食うためにその仕事をしたいと思ったわけではなくて、自分の生き方の衝動として写真家になりたい、アラスカに行きたいと思ったので、意味を問う質問をされても、意味で答えられなかったんです。でも答えられなくて当然なんです。経験しなければ、自分で意味を見出すことはできませんから。

私が若い人に共有したいのは「なりたい職業がなければ、自分で勝手に職業や肩書きをつくって名乗ればいい」ということです。「ビジネスデザインクリエーター」でも「戦略農家」でもなんでもいいので、なりたい職業や肩書きを自ら名乗って実績をつくっていく。それが自ずと職業になっていく。やりたいと思ったら、周りや社会が求めてくる意味など気にせず、とことんやってみたらいいと思います。

生き方と職業を考えるとき、私はいつも車輪をイメージします。生き方は車輪のど真ん中で、職業はどちらかといえば車輪の外側。収入や名誉みたいな社会的価値も、車輪の外側です。車輪の外側に軸を置いてしまうと、車輪が回転する度に浮き沈みが激しくなります。でも、車輪のど真ん中に、生き方や大切にしたい価値観を据えておくと、社会や状況、周りがどんなに変化しても、振り回されることがありません。社会や環境の変化が激しい時代だからこそ、好き、ワクワクする、衝動、生きている経験を車輪のど真ん中を据える。職業や仕事は、車輪の外側くらいの認識でいいと思うんです。

車輪の図:真ん中と外側をイメージ

自分の命のときめきに素直に生きる

私が言う「好き」は単に好き嫌いの次元で語られるような「好き」ではありません。どうしてもやりたいとか、自分の命がときめくようなことが「好き」の中心にあると思っています。それは単に、楽しいとか苦しいとかを超えた「生きているよろこび」です。

神話学者のジョセフ・キャンベルさんが『神話の力』という本の中で、“Follow Your Bliss.”という言葉を使っています。私はこの言葉が大好きです。私はこの言葉を「自分の命のときめきに素直に生きなさい」と解釈しています。

自分は何に対して命がときめき、ワクワクするのか。このときめきをつかまえておくことが大事だと思うんです。でも、10代、20代では経験の量が少ないため、自分の命が何にときめき、ワクワクするのかをつかむのが難しい。だから、迷いはあるけれどどうしてもやりたいと思ったら、どんどんやればいい。三日坊主でもいいので、他人(ひと)がなんと言おうが、社会的に意味のない行為とされようが、やりたいと思ったら自分でまずはやってみる。経験してみる。その上で、自分に合うのかどうか、自分の命がときめくのかどうかを確かめてみるのがいいと思います。

今の社会は、意味が強すぎる社会です。経験する前から、その行為や活動に意味があるかどうかを考え過ぎてしまう。意味ではなく、生きている経験、ジョセフさんの言葉で言うと、”The experience of being alive”。衝動やワクワク、ときめきみたいなもの。これらに素直に生きていると、後々その経験が意味になり、いずれはその人の仕事になると思います。

もう一つ伝えたいのは、「自分探し」という行為。これは近代の呪いです。私は自分なんて無くしてしまったほうがよっぽど生きやすくなると思っています。この「自分探し」にとらわれると、生きにくくなります。何を感じ、何を思い、どう考えるかの出発点は自分です。ただ、自分探しの呪いにかかっている人たちは、自分から矢印が出て、矢印の行き先もまた自分に向いている。このベクトルだと、世界中どこへ行ったとしても、誰と出会っても、地球の外へ出たとしても、何も変わらないと思います。

大事なのは、矢印の出発点を自分に置き、その矢印の行き先を(自分ではなく)世界に向けることです。矢印が世界そのものに開いていると、自分が考えている以上に世界は広くて大きいんだということがわかり、幸せな気持ちになります。自分より広い世界があるとわかるから、学びたい衝動にかられる。知的好奇心が湧いてくる。旅や登山をする人は感覚的にわかると思うんですが、自分の命が透明になる感覚、あるいは世界とつながっているような感覚です。これは自分探しとは全く違うベクトルです。他者や世界に開かれた自分です。命を世界に開き、世界とつながっている経験を、多くの子どもたちにしてほしい。世界全体と自分の命がつながっていることを、概念ではなく身体経験として理解することが大切だと思っています。

生き方の延長にある仕事

今、仕事のあり方も大きく変わってきています。私たちは仕事観を更新しないといけない。

私が仕事を考えるときに重要視している点は三つあります。一つ目は自分が心からその仕事をしたいと思っているか。二つ目は、他の人にとって役に立つのか。三つ目は、環境を含んだ社会にとって意味があるのか。この3点の重なりを意識して仕事をすることが極めて重要です。

3点が重なる仕事ができれば、私たちは今以上に生きやすくなるはずです。自分が豊かになることで他者を不幸にしたり、人類が豊かになることで環境が悪くなる。これが不幸やいびつさを生んでいる元です。私たち人類が幸せになることで、環境も豊かになる仕事をつくっていくことが、今求められています。みなさんの仕事に当てはめてみて、もし自分がやりたくない仕事をしているのであれば、やりたい仕事にするにはどうしたらいいのか。環境を悪くしている仕事であれば、環境を良くするにはどうしたらいいのか。そのことを考えた上で、チャレンジしなければいけないと思っています。

今の仕事を辞めて転職した方がいいとか、起業した方がいいとか、そういうラディカルなことを言いたいわけじゃありません。自分の仕事をこの3点で見たとき、今やっている仕事をもっと良くするにはどうしたらいいのか、欠けている点があれば補う。そうすることで、今以上に社会へインパクトを与える仕事ができるようになると思っています。

思い返せば、高度成長期は仕事と生き方がほとんど重なっておらず、公私混同は許されませんでした。

2011年の震災以降どうなったかというと、仕事と生き方がかなり重なった。コロナを経て、今ではそれがさらに進み、生き方の中に仕事がある状態になっている。私たちは今、こういう社会にいると思っています。だからこそ、「私たちはどう生きるか」の生き方が問われているんです。

最近、面白くて優秀な学生が起業するケースが増えてきました。素晴らしいことだと思います。10年、20年前と変わってきたなと思うのは、彼ら彼女らの起業が、お金もうけのためだけじゃないんですよね。20年前のベンチャー起業ブームの時は、メディアがベンチャー起業家を金の亡者みたいなイメージで取り上げることが多かった。もちろん今でもお金目的で起業する人はいますし、そのチャレンジを否定するつもりはありません。ただ、それだけではなくて、表現手段の一環として、生き方の延長として、起業を選ぶ若い人たちが増えています。これは希望です。生き方の中で仕事を考える。これは、社会が変化している表れだと思っています。

会社のあり方も変わってきています。2011年までは、会社は売り上げが中心でした。従来からよく言われるのは、会社の何よりの社会貢献は、納税と社員の雇用。加えて、営利の範囲内で社会貢献をしましょうというCSR的な考え方です。2020年以降、社会貢献や社会課題の解決につながっているのかが、営利と同等に、事業へ求められています。

最近、「ソーシャルビジネス」という言葉をよく耳にします。これは単なる流行り言葉ではなく、ソーシャルビジネス的な仕事をしていかなければ、私たちの未来や環境は貧しいものになるということの表れでもあると思います。日本には「企業は社会の公器」という言葉があるように、すべての仕事は本来ソーシャルビジネスです。気候変動をむかえ、会社のあり方の原点に立ちかえっている印象があります。

また、高度成長期は事業と公共性には距離がありました。ですが、今は行政の財政も厳しくなっているため、特にコロナ以降は事業と公共性が重なってきています。逆に言うと、行政がやっていたことを私たち民間・市民がやらないといけない時代になった。

ただ、もともと人類はそうだったはずなんです。インフラや社会システムを他人に任せていい時代なんてなかったはずです。道路をつくる、山や川を整備する、海を守る… 大事なインフラづくりを行政任せにしていたから風景がこんなにも壊れてしまった。これは何も行政だけが悪いのではなく、地域に暮らす私たちの責任でもあると思います。

もう一度、インフラづくりや社会システムなど公的な仕事について、私たちはどういう社会やコミュニティをつくりたいのか。その上で、自分たちはどのように関わっていくのか。本気で考えないといけない時代に入っています。

すべては「感じる」から始まる

 
こういう社会に生きている私たちにとって大切なことは、社会への感度です。つまり「世界をどう認識するか」です。認識には、その人の感覚・感性が重要です。あの人がこう言っているとか、政治家がこう言っているというのはどうでもよくて、あなたはどう思うのか、私はどう感じるのかを出発点にしないといい社会はつくれない。「自分たちがどういう環境、風土に育まれて、今、生きているのか」を感じ、考えることが大事です。その上で、私たちの社会がどういう社会か、現状をちゃんと分析し、どんな社会が理想なのか、どういう社会をつくりたいのか、どうしたらみんなが幸せになるのか、を考える。

この現状と理想のギャップが課題です。この課題を、事業やNPO、教育でもなんでもいいので埋めていく。インパクトが大事なので、理想は高く遠くに置いた方がいい。課題を埋めるために、事業を通じて自分たちで答えをつくっていく。これが事業・仕事の基本だと思っています。 

命を守り、風景を豊かにするイノベーター

 
みなさんが最も尊敬する起業家、イノベーターって誰ですか?正解はないので、みなさん自分で考えてみてください。尊敬する起業家を考えることで、自分の起業観や大事にしていることがおぼろげながら見えてくるはずです。

私は3人います。空海とガウディ、もう一人は中村哲さんです。一昨年、亡くなってしまいましたが、中村哲さんは本当にすごい。彼はお医者さんなので、ご自身では起業家だとか、イノベーターだとは思っていなかったと思うんですが、私から見て中村哲さんは尊敬する起業家です。
 
もともと哲さんは山が好きで、蝶が好きだった。その延長でパキスタンの登山隊に随行したそうです。哲さんがパキスタンへ行った時、お医者さんが来たということで、地元の村人たちが診療してほしいと駆け寄って来たそうです。しかし、登山隊のために薬を残さないといけなくて、その時はほとんど何もできなかった。その経験を哲さんは忘れずにずっと持っていた。その後、ペシャワールでハンセン病患者の治療をするために医者が必要になった時、哲さんは手を挙げました。
 
ペシャワールへ行くと、そこにはハンセン病以外の患者さんもいたので、哲さんたちは一般診療を始め、ペシャワールを拠点に診療所や病院をつくりました。でも、病院をつくったのに診ても診ても病気の子どもたちがやってくる。その原因が不衛生な水を飲んでいることだと気づき、哲さんたちは井戸を掘り始めるんです。お医者さんがですよ。

そして、次に何をしたかというと、用水路をつくったんです。「100の診療所より1本の用水路」。水こそが人の命を守るという考えで、用水路をつくりました。さっきの車輪の話をイメージして欲しいんですが、お医者さんのど真ん中というのは、人の命を守るとか、人を健康にすることですよね。だから、哲さんは診療するだけじゃなくて、井戸や用水路を掘った。人の命を守るために。
 
これは哲さんの写真なんですが、後ろには緑野が広がっています。 

写真提供:PMS(平和医療団・日本)/ ペシャワール会

ここはもともと砂漠だったんです。こちらは用水路をつくる前の写真です。ガンベリ砂漠という砂漠の一部だったんです。日本からの寄付金を元手に、アフガンの人たちとともに用水路をつくり、この砂漠の一部を緑野に変えました。難民の人たちが戻り、暮らせる大地になったんです。震えるほどのすごいお仕事です。

写真提供:PMS(平和医療団・日本)/ ペシャワール会

自分に置き換えて想像したとき、私がこの砂漠を見て、ここに用水路を通して緑野にしようと想像できるかと問われても、想像できないと思います。

事業というのは現状と理想のギャップを埋める手段であり、プロセスだという話をしました。大切なのは、妄想というか、理想をイメージできるかどうかなんです。これをやらないといけないという使命感にかられるかどうかなんです。実現できるかどうかは、能力の差よりも、経験の積み重ねです。哲さんはペシャワールで長年診療を続けてきて、自分の腕の中で子どもたちが死んでいったり、アフガンが戦場になってしまうなど得も言われぬ経験を積み重ねた結果、これをやらなければという使命感が妄想力を生み、実際に現実を変えました。この狂気にも似た妄想力というか、使命感みないなものがないと、ビジネスや事業はできないところがあるし、逆に言えば、それがあればできる。哲さんがやられてきたことから学ぶことがたくさんあると思うんです。(参考書籍:中村哲さん著『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』

もう一つ哲さんが残してくださった大事なメッセージは「事業を通して風景を美しくする」ということです。これは自戒を込めて思うですが、多くのインターネット企業は、どれだけ風景を美しくしているか、環境を豊かにしているか、心もとないところがあります。事業をやる以上、インターネットのデジタル空間に閉じずに、現実の世界でも美しい風景をつくっていきたい。私は、緑になったガンべリ砂漠のこの写真を見るたびに、自分たちは風景を美しくする仕事ができているか、自問自答してしまいます。

後編につづく


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