クラシックルート「伊藤新道」の復活から見える、これからの山小屋のかたち- 三俣山荘オーナー・伊藤圭さんインタビュー
前回の伊藤二朗さんへのインタビューに引き続き、今回も黒部源流の山小屋のお話をお届けします。
鷲羽岳、水晶岳をはじめとした北アルプスの奥地・黒部源流域の山々。ここに行き着く人々の多くは、三俣山荘や水晶小屋などの山小屋を訪れるはずです。北アルプスの中心、天候や物資の運搬などにおいてハードな面が多いこのエリアで、独自の山小屋づくりを続けているのが、伊藤圭さんです。
今回は、YAMAP代表の春山さんとアウトドアライターの高橋庄太郎さんで、「山小屋の今とこれから」や「クラシックルート伊藤新道の復活」などについて、三俣山荘と水晶小屋のオーナである伊藤圭さんにお話を伺ってきました。
伊藤圭さん(写真中央)
三俣山荘と水晶小屋の経営者。父は『黒部の山賊』の著者でも知られる伊藤正一さん。弟は雲ノ平山荘の伊藤二朗さん。戦後、正一さんが開拓した黒部源流の山小屋を受け継ぎ、北アルプス奥地の過酷な条件のもとで、独自の山小屋づくりを続けている。
高橋庄太郎さん(写真右)
国内外の山を歩いて取材を重ねる山岳/アウトドアライター。北アルプスの登山道をほぼ知り尽くしており、三俣山荘とは伊藤圭さんの父・伊藤正一さんの時代から親交があった。山小屋でしか手に入らなくなっていた『黒部の山賊』の再出版に尽力し、巻末の解説文も担当している。著書に『北アルプス テントを背中に山の旅へ』など。
父・伊藤正一さんから小屋を引き継ぐまで
春山:そもそもお父様(伊藤正一さん)が山小屋(三俣蓮華小屋。現在の三俣山荘)を始めたのはいつ頃からですか?
圭:昭和20年に権利を買い取って、昭和21年から始めました。
春山:じゃあ、1945年からということになるから、74年。
圭:戦後と同じ歴史ですね。
春山:圭さんが本格的に継がれたのは、いつ頃ですか?
圭:はじめは2002年に水晶小屋を任されて、それから三俣山荘に移り、実際に経営を交代したという意味では、父が亡くなった2016年からだと思います。
高橋:山小屋はいつ頃から自分が継ぐものだと思っていましたか?
圭:水晶小屋を任された2002年から考えていました。いずれやるしかないんだろうなって。実質的には、三俣山荘に入った6年前ぐらいから経営者的な立場として本格的に動き始めました。
春山:子どもの頃は夏の時期に三俣山荘に連れてこられて、一緒に山小屋のお手伝いをしていたんですか?
圭:そうですね。夏休みだけって感じですね。
春山:いい思い出ですか?
圭:僕は東京の新宿で生まれてスポーツもしていなかったから、山登りとか面倒くさいなっていうイメージがすごくあって...。普通の人からすれば、おじいちゃんおばあちゃんの家に帰省するような、山小屋は夏が来たら帰るところという感じだと思います。正直、へリコプターに乗れたり見れたりするのが一番の楽しみでした。
春山:そうですね。ヘリに乗れる子どもなんて滅多にいないですよね。
圭さんの考える、変わらない山小屋の役割
春山:山小屋が74年間続く中で、登山にもいろんなブームがありました。時代とともに登山のあり方も変わってきていると思うのですが、変わらない山小屋の役割はどこにあると思いますか?
圭:やっぱり、登山者の安全を確保することですね。それに加えて、自然のこと、現場の気象条件やリスクを登山者に伝える役割はずっと担っていますね。
圭:統計にあがってないだけで、戦後は今より何倍も遭難が多かった。遭難救助は当然山小屋が担うことになる。能動的にやるというよりは、やるしかなかったんだと思います。
春山:確かに山小屋の変わらない役割として、遭難救助はありますね。
圭:今も大事な山小屋の役割だと思います。実際、水晶小屋は父が権利を買い取るまで朽ち果てて途絶えていたのですが、あの辺は遭難が多すぎるから建てた小屋なんです。
春山:山小屋があることで遭難が減るし、登山者の安全確保になっている。
圭:そうです。原点という意味でも「山小屋は避難小屋である」ということが第一です。
春山:なるほど。ちなみに、山小屋に電気が導入されたのはいつ頃からでしょうか。
圭:電気を導入した時期は聞いてないですね。でも、現実的に考えたらヘリコプターが飛んだあたり...1960年頃じゃないですかね。それ以前に発電機を背負ってきたとは聞いていないですし。
春山:電気が使えるようになったり、ヘリでの輸送が可能になったことで、山小屋が変わって点はどこにありますか。
圭:食事を本格的に提供し始めるなど、山小屋なりの”サービス”ができるようになった点だと思います。山小屋が始まった当初は、米とか味噌は登山者が持ってくるのが常識だったから。
春山:その当時、山小屋が提供するものは、おかずが少しとかそんな感じですか?
圭:そうですね。保存食、乾物とかをおかずにして。米を炊いてあげたりはあったかもしれないですけど。
高橋:この黒部源流辺りだと、イワナとかを釣ってきてくれていたわけですよね。
圭:そうですね。三俣の山小屋の最初は猟師小屋だったので。黒部の山賊(猟師)がバイトみたいにスタッフとして関わって、「今日はイワナ釣ってくるわ」とか言って、釣ってきたのが食卓に出てくる日もあるし、そうじゃない日もあるみたいな。あと、昔はウサギが大量に獲れたらしくて、ウサギのカレーを出していたっていう話は聞いてますね。
山小屋はサービス業なのか
春山:電気とヘリ輸送のおかげで、山小屋が一定の”サービス”を提供できるようになったことは、大きな変化ですね。
圭:とはいえ、山小屋が提供できる”サービス”は今も限られています。ご存知のように、今の山小屋はインフラを全部整えて半分公共施設みたいな状態です。
あくまでも避難小屋的な役割を土台にして、サービス提供が少しできるようになった、というのが正しいと思います。温かい食事が提供できて、カッパや濡れた衣服を乾かせる乾燥室も備えて...といった感じで。
春山:山小屋の維持で大変なことは、どういったところでしょうか?
圭:やっぱり、ハード面での建物の維持ですね。三俣山荘はヘリが飛び始める以前にできた小屋なんです。軽量鉄骨など歩荷が背負える材料でつくったので、維持するのがかなり大変です。
一方、全部を建て替えるとなるとものすごい投資が必要になります。山の建築費は地上の4倍と言われています。投資額が大きすぎて設備投資が追いつかない。実際、三俣山荘も建て替えができていないですし、そこが一番大変なところです。
高橋:三俣山荘ではなく、雲ノ平山荘を先に建て直したのは、あっちの方が傷みがひどかったから?
圭:その通りですね。あそこは湿地帯で不同沈下を起こすので、柱ごとバラバラに沈んでいくわけですよ。そうすると建物全体が波打っちゃって。これは限界だと思って、先に雲ノ平山荘を建て直しました。
春山:二朗さんのレポートにも「儲けがあっても設備投資に突っ込むので経営自体がすごく大変」と書いていましたね。
圭:そうですね。ヘリの輸送費と設備投資に費用がかかりすぎて、余剰が出ない状態です。もちろん、歩荷よりはヘリ輸送の方がはるかに安いと言われているんですけど...。
春山:直近のヘリ輸送費の値上がりもあって、追い討ちをかけている。
圭:そうですね。むしろ、これまではヘリ輸送が運よく安くついていただけなんだけど、よくよく考えると決してそんなに安いものではなかったと気づいちゃったわけです。ヘリが飛び始めた当初から今までいい夢を見させてもらったようなもんです。
春山:ヘリの輸送費が高騰すると、今の宿泊費で山小屋のクオリティを同程度に維持していくのは、難しくなってきますね。
圭:まずは登山するみなさんに、山小屋の現状を知ってもらいたいです。山小屋によって事情は異なるにせよ、一部の山小屋はギリギリのラインに来ていることを知ってもらった上で、どう維持・発展させていくかを話していかなければいけないと思います。
春山:山小屋単体の話ではなくて、ヘリ輸送や宿泊費、登山道整備も含めた課題についてですね。
圭:はい。山小屋が単体で登山のインフラ整備をしていることが、そもそも限界に来ています。
山小屋が提供する体験、伊藤新道のポテンシャル
春山:正一さんの本『黒部の山賊』は、黒部の歴史や風景を今に伝える、一つの翻訳書だと思います。『黒部の山賊』を読むことで、三俣山荘の見え方や黒部源流一帯の自然の見方が全然変わってきます。
圭:猟師の視点は、自然との関わりがディープです。登山道に関係なく走り回って、熊を見つけて撃つ。藪漕ぎをしまくって、いろんな植物を知ったり、イワナを釣ることによって川を知る。自然への対峙の仕方が伝わってくるから面白い。
圭:僕は登山してくる人々の自然とのかかわり方を、そういったプリミティブなところになるべく戻したいと思っています。でも、今すぐ現実でやれるかっていうと絶対できないから、少しずつ始めていけたらと思っているんです。例えば、簡単な資料室が山小屋の中に一つあるだけでもいいし、専属のガイドが案内してくれるでもいい。
圭:そのひとつのモデルになり得るのが、伊藤新道(伊藤正一さんが開削した、湯俣と三俣山荘をつなぐ登山道。現在は崩壊が激しく、通行困難)だと思うんです。
圭:伊藤新道を多くの人が歩けるように再開させて、エコツアー的なことをやるのもいい。伊藤新道にはカラフルな地質や沢、豊かな原生林、温泉などのエキサイティングな自然要素が数多くありますし、渡渉などのアドベンチャー要素もある程度あります。危険も含めて、伊藤新道を体験してほしいしですね。
kumonodaira.netより引用(2013年夏当時の地図)
高橋:いいですね。山小屋それぞれに「得意分野」や「売り」をつくって、もっとキャラを立てていいような気がします。
圭:そうですね。若い山小屋の経営者は、その点を意識するようになっています。
高橋:ご飯やスイーツといった飲食で差をつける山小屋は増えてきたけど、そこだけじゃなくて、体験自体で差別化していいと思いますね。
春山:おっしゃる通りですね。
圭:体験に歴史と自然をどう組み込むかが、大事になってきています。黒部源流をどういう人達が開拓してきて、どういう人達が住んできて、どういう変遷があったかということだけでも、より多くの人に伝えていきたいです。
高橋:元の本からリニューアルされた本『黒部の山賊』にははじめのところに、この付近の地図がありますよね?あの地図を見ているだけで、昔こういうところでこんなことがあったんだって思えて、すごく興味を引かれます。あれが歴史だと思うんんですよね。そこに行くと、当時と同じものは見えないかもしれないけれど、こういうことがあった場所なんだなと想像できるだけでも面白い。
圭:例えば高天原とか鉱山の歴史が大正時代からあって、金の伝説とかもあるんですよ。ただ、国立公園内だからやれることが少ないんです。登山道から出ちゃいけないとかの制約もあるし。里山文化と比べると、木は切れないし食料も確保できない。生の自然に触れてもらえるチャンスが少ないのはジレンマですね。面白いところを知っていても、なかなか紹介できない。
そういう意味でも、伊藤新道の役割や価値は大きいなって思うんです。
高橋:伊藤新道を現代に蘇らせる価値はものすごくある思います。ただ、現在はかなり難しいルートなので、ガイドさん付きが条件でもいい。とにかく早めに復活させたいですね。
圭:現在は閉めたままになっている湯俣山荘を再開させれば、もっと行きやすくなってくるかもしれません。
圭:ゆくゆくは、信濃大町などの麓の町とか自治体と連携して、湯俣と三俣を含む広い範囲で周遊コースが組めるんじゃないかなと思っています。麓の博物館で自然のことをある程度解説してからスタートすることで、この辺りのことをもっと深く知ってもらうとか。今は「山は山、町は町」になってしまっている。
春山:本当にそうだと思います。山と町の観光が分断されているのは、日本の観光のもったいない点ですね。
圭:海外だとありえないじゃないですか。北アルプスのような巨大な観光資源を麓の町がうまく活用しないというのは。麓に駅や温泉みたいな拠点がこれほどあるのに。だから、プロデュース力次第で松本も大町ももっと可能性があると思う。ゲストハウスなどの宿泊場所が増えて、登山者が麓で泊まれるようになれば「町に泊まってから山に行こう」が、スタンダードになるかもしれない。
登山をしていない人に届けたいこと
春山:山小屋のことを考えたときに、日本を象徴しているなと感じたことがあります。
登山者は、山小屋の役割や山小屋を維持していくことついて関心があると思うんですけど、一方でそもそも自然に興味がないとか、国立公園は自分には無関係だとか、日常生活と自然の繋がりを感じられていない人もたくさんいます。
つまり、山小屋の問題は、日本人の自然観の問題でもあると思うんです。
春山:日本の登山者は700万人〜1000万人くらいだと言われています。日本に住んでいる人の10人に1人も山に登っていない、こんなに自然豊かな場所に暮らしているのに。
国立公園の維持とか未来への継承は、自分たちの自然観をどういう風に育み、次世代に繋いでいくのかと「イコール」だと思うんです。
圭:そうですね。
春山:自然観は教育で育まれる部分もあるし、自然体験が日々の生活にあるかどうかも大事。例えば、山に行ったことのある人であれば、町に戻ったときに、自分たちの暮らしが大きく広い自然の中に存在していることを実感できている。
圭:「都市は一部で、その周りに山があって」という実感ですね。
春山:だから、自分たちの暮らしが自然と繋がっている感覚がある。自分の命は小さいかもしれないけれど、大きな世界とつながって、今を生きている。
春山:この感覚って特別なものではなくて、生物として当たり前の感覚だと思うんです。登山を含めて自然体験は、そういった感覚を呼び戻してくれる。なので、国立公園を含め自然が自分たちと無関係だということはあり得ない。もっと関心を寄せていい事柄だと思っています。
山小屋を経営している圭さんが、登山者に向けてはもちろんですけど、登山をしていない人たちに対して伝えるものがあるとしたら、どんなことがありますか。
圭:僕は、夏休みに山に連れられてきても「小屋の中にいた方が楽だよな、ヘリコプター格好いいよな」と思っている子どもでした。視点が都会に偏ってますよね、子どもとしては。
だけど今になってみると、自分の体や精神は、半分は山で培われていてると理解する瞬間があるんですよ。それで、離れられなくなったからここで働いている。
じゃなかったら、とっくに別の業界でやりたいことやってます。音楽とか録音とか興味ありますし。それでも「山を必要としている自分」がいる。僕だけに見えている山のビジョンがある。こういったことですかね、伝えたいのは。
圭:だから、僕の生き様を見てくださいっていう思いはあります。
そのために出れるとこには出るし、徹底的に解説します。僕が知っている「山」については、自分の山小屋でもお客さんに語るし、取材に来たメディアにも話す。こういったことは必要だと思っています。
言ってみれば宗教観みたいなものだと思うんですよ。そもそも日本人には自然信仰があったじゃないですか。僕は水晶小屋にいた時代に、小屋開けの準備のときに一回ヘリで墜落したことがあって、山で亡くなった人も見てきてるんです。そういう中で、お祈りじゃないけど、今シーズンも安全に過ごせますようにって本気で思いますよね。
例えば、昔の人じゃないけど、予報を見なくても天気が自然に読めるようになったりします。スタッフにはやっぱり言いますね、「予報も大事だけど空をちゃんと見ろよ」って。
圭:そういうことを単純に伝えていけたらいいなって思うけど、「伝わったな」と思う瞬間は少ないです。伝えたいことの本質が薄まっちゃって、「いいところで暮らしてる家族」みたいになっちゃいますよね。みんな褒めてくれるけど、そうじゃないんですよ。
春山:でも、圭さんの生き様を通して山小屋や黒部源流の自然を知れるというのは、確かにあると思います。
圭:そうだね、見て欲しいとは思いますけど。
春山:共感する人も多いと思います。
高橋:圭さん、自分の考えや現在の山小屋について、いろいろ書いた方がいいと思うよ。僕は圭さんの発信力に期待していて、まずは自分の三俣山荘のウェブサイトに書けばいいんだけれど、それを最終的に一冊の本にするとか、まとめて読めるようにして欲しいなぁって思う。
高橋:実際、正一さんのあの本を読んで黒部源流に来る人がたくさんいるわけじゃないですか。やっぱり、山に来てもらわないことには始まらないし、そのためには山に興味を持ってもらわなくちゃいけない。
『黒部の山賊』は面白いけどやっぱり昔の話だから、圭さんには「今」の良さを伝えて欲しいなぁって思う。
圭:そうですよね。もうちょっとでタイミングが来ると思うんですよね。書かなきゃってなると思います。それまでは『黒部の山賊』に担ってもらうのかな。まだまだバイブル的な効果は続いているので。
でも、あれを超えるのは、大変ですよ。金字塔ですから。
高橋:超えなくていいんじゃない。違う方向に進めばいい。
圭:そうですね。リアルに書けばいいんですよね。
春山:圭さんの生き様や、圭さんの見ている山を伝えることができれば、十分面白いと思います。
伊藤新道の再生、YAMAPでも力になれたらと思います。復活させて、あたらしい山小屋のかたちや山の価値観を一緒に広げていけたら嬉しいです。
本日はどうもありがとうございました。
FIN.
written by @﨑村昂立
photo by @goando @﨑村昂立
雲ノ平山荘の伊藤二朗さんへのインタビューはこちら。