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「剥き出し」の世界を受け入れ、学ぶこと| データサイエンティスト・シバタアキラさんと岩を攀じる


YAMAPのプロダクト・マネージャーの土岐拓未です。今回は、YAMAPに2021年にAIアドバイザーとしてジョインしたシバタアキラさんに焦点を当てた記事をお届けします。

シバタさんは、データとAIを駆使し、ビジネスからアートまで横断的な領域で新しい価値を創出する特異なデータサイエンティストです。そして彼は同時にフリー・クライマーであり、山や岩を深く愛するナチュラリストの一面を持ちます。

私とはYAMAPへのジョイン以前から旧知の仲であるシバタさんですが、彼はデータとAI、アートとビジネス、そして山と岩という一見かけ離れた世界を横断し、高いレベルで探索を続けています。そんな彼の行動原理がどのような構造になっているのか、ずっと気になっていました。

それを解き明かすため、お話を聞いてきたのがこの記事。2022年春、宮崎県へのクライミング旅に2人で向かう車中で、期待に胸を高鳴らせながら行った会話の記録です。クライミングという奇妙な行為に魅せられた二人が、山とクライミング、仕事と人生について余すところなく語った対談、お楽しみください

痛みは「イシュー」ではない、前に進もう

土岐 拓未(以下土岐)
今、宮崎県の比叡山にある「ニードル左岩稜」というマルチピッチのクライミング・ルートを登るために、比叡山に向かっている道中にいます。「ニードル左岩稜」は、「ニードル」と呼ばれる比叡山の顕著な岩塔を登るルートですね。

▲宮崎県・比叡山の「ニードル」と呼ばれる岩塔。頂上にクライマーの姿が見える

シバタさんのリクエストで「クラック(岩の割れ目)があるルートを登りたい」ということで、このルートになりました。シバタさんはクラックが好きですよね。

シバタアキラ(以下シバタ)
好きですね! 岩の割れ目という、人の手が入っていない自然の造形物をそのまま登るという感覚が凄い面白いし、そこに自分の手で、カムなどのギアを使ってプロテクション(墜落を止めるための支点)を作るというのも、面白いんですよね。危険度は増すんですけど、充実感をより感じる。「どうやってギアを使おうか」と、頭脳も使って登っている感じがあるんですよね。

▲2ピッチ目、クラックセクションを登り切ったシバタさん

土岐
登れるレベルは低いんですけど、私もクラックが好きなんです。そして何で好きなんだろう、と考えると「純粋に岩との接触面積が大きい」という要素も大きいな、と思ったんですよね。めちゃめちゃ岩と触れあってる感がある。

シバタ
分かる、凄く分かります。岩に挟まっている、岩に触れあってるという幸せ、喜びがある。それは自分の中では圧倒的な、絶対的な感覚としてあります。ジャミング(クラックを登るときに使う技術。割れ目に手と足を差し込み、膨らませて止める)をするときとか凄い幸せですね(笑) 

土岐
基本的にジャミングって「痛い」ですよね。でもクラックやってる人はニコニコしながら「効いてるね!」とか言いながら進んでる。あれ変ですよね。

シバタアキラ
そうそう、クライミングの中で痛みは問題じゃない、「イシュー」じゃないんですよね。「痛い」という生理的な現象を客観化して、「今はそれはイシューじゃないから前に進もう」ということを決意する。あの感じは本当に独特のものがありますよね。凄い疲れるんですけどね、そういうことをやると(笑)

土岐
必死になってる中で「登り切る」「前に進む」ということに脳が最適化されていくような感じがありますよね。

▲3ピッチ目、クラックを登る土岐

「痛み」や「疲れ」を全力で乗り越える、その喜び

シバタアキラ
クライミングをずっと続けてる理由も、そういう「痛み」「疲れ」という要素が重要なんですよね。普段の椅子に座っている生活では絶対に味わえないレベルの痛みや疲れ。身体を全力で使って、そういうものを乗り越えて安全な場所に帰り着いたときの喜び。月並みに言うと「充実感」なんですけど、それだけでは言い表せないものがありますね。なかなかこの喜びをロジカルに説明するのは難しいんですよ。

土岐
難しいですよね・・・未だに自分でも説明できない。私は昔から凄く運動音痴で、30歳くらいまでロクに運動もしてなくて。ふと山にはまるきっかけが幾つかあり、山に登り始め、岩とか沢登りをやるようになり。全然クライミングは上達しなくて、悔しい思いをするばかりなんですが、やはりこの面白さには確信があってずっと諦めずにやり続けているわけで。それは大袈裟な話になるんですが、「余暇」としてやっているだけじゃなくて、どこかこの「登る」という行為が人生の意味に関わってるという確信があるんですよ。

シバタ
土岐さんが不思議なのは、自分の登ったことの無いルートもやたら詳しいことですよね、写真を見ただけでルート名が分かったりする。「何なんだこの人は?」と思った(笑)

土岐
オタク気質もあるので、いろんなルートを調べて写真を見て、想像するのも好きなんですよね(笑)。そういう過程も含めて好き。ここに行ったら、どのような希望があって絶望があるんだろうとか・・・。景色を見るのも好きなんですけど、それだけを求めているわけではなくて。さっきみたいな「痛み」「疲れ」とか「恐怖」も含めて、想像して、実際に体験するのが好きなんです。

▲ニードルの頂上からは懸垂下降で一度降り、さらに頂上を目指す。懸垂下降をするシバタさん

リスクを取って生きるという価値観。それを肉体で感じるクライミングという行為

シバタ
そこにリスクがあることも重要な要素ですよね。クライミングである以上、登山道よりも危険度は大きい。リスクをゼロにすることは絶対にできないので、それとどう向き合っていくか。そこに感じる生理的な「恐怖」をどう客観化して乗り越えていくか、という面白さがありますね。

土岐
確かにそうですね。そこで感じる「リスク」って普段の仕事や生活には無い生々しさがありますよね、生のリスクの手応えがある。自分は気が弱いので、日常生活でリスクは避けがちなんですが、一方で「リスク」と対峙できる機会を求めているのかもしれないですね。

シバタ
そういう意味で言うと、印象的だったのが北アルプスの錫杖岳ですね。冬に登ったときの印象が凄く鮮烈でした。まだ日が出てない早朝に起きて最初は普通の登山道からスタートしたんですが、雪壁に取り付いてロープを出す頃に夜が明けてきて。岩が露出した山肌とそこに降り積もる雪に朝日があたってる光景が最高だったんです。そこから日の光が刻々と変わっていくのが本当に美しくて。「これは山を一生やめられないなぁ」と心から思ったんですが、同時に「いま居るこの崖は、朝起きた安全な場所と地続きなんだ」ということをすごく全身で感じて。

土岐
安全から危険までが、未分化で一つながりになっている、ということですか?

シバタアキラ
そうそう、0と1ではないんですよね。確実につながっているんです。リスクをどこまで許容するか、ということを決めて、それをコントロールしようと、技術を磨いて道具を活用する。クライミングの場合はそれが身体の危険ということで凄く明確になるんですが、日常生活や仕事でもどこでも、そのような要素は転がってるんですよね。それは大きな学びでした。

土岐
シバタさんは、仕事でも常にチャレンジしてリスクを取っていってますよね。

シバタ
リスクを取ることが多い人生だったし、これからもそうだと思いますね。もちろん安定とか良い給料を求めて「安全」に生きる人生もあるんですけど、価値観・世界観としてリスクを取ってチャレンジする生き方をしたいと思っている。その価値観を、より肉体的に感じるものとしてクライミングがあると思います。

土岐
私もシバタさんほどではないにしても、「リスクを取る生き方を自分はしているか」ということをクライミングを通じて生々しく考えられるようになったと思いますね。あと「恐怖」のコントロールは確実にできるようになってきた実感があって。自分は凄く人付き合いが苦手で、人前で話すのが凄く苦手で恐怖だったんが、「クライミングの明確な肉体的恐怖に比べたら、全然大した恐怖じゃないな」と思えるようになって気が楽になりました(笑)。

▲最後のピッチ、矢筈岳が見渡せる絶景の中をフォローで登る土岐

山には「責任」がプリミティブな形で転がっている。だからこそ受け入れられる

シバタ
仕事との繋がりでいうと、「リーダーシップ」というのも考えるものがあって。普段は山にあまり大勢で行かないんですけど、今COOをやっている株式会社Qosmoで、赤岳鉱泉に6〜7人でアイスクライミングに行ったんですよ。皆初心者なので、そのチームを凍えさせずに安全に帰宅させるか、ということでしっかりリーダーとして計画を立てたんですよね。そこに凄く生々しい責任を感じましたね。はっきり行って自分は社会性に欠ける人間なんで、責任とか全然好きじゃ無いんですけど(笑)

土岐
私も社会性が無い人間なので分かります(笑)。沢登りなどでリーダーになることがあるんですけど、やはりいろんなリスクを予測しつつ、少しチャレンジもしながら、いかに安全に皆で下山できるかを知恵を絞って考える。それは「リーダーシップ」とか「社会性」って言う言葉で表せるものではなくて、「山で集団で行動する」ということを通じて学べる、人間のプリミティブな行動の倫理観かもしれないですね。

シバタ
そうですね、登山という自由な行動だからこそ、そこで責任が発生しますよね。普段の生活だと、「責任」はある程度、論理的なものとして認識しているんですが、登山だとよりプリミティブな形で転がっていて。だからこそそれを自分はすっと受け入れられるんですよね。

土岐
山には、人生に関わるいろんな要素が剥き出しの状態で転がっていますよね。チャレンジし続けていると、価値観や世界観を揺さぶられるいろいろな体験をすることができる。それが山を続けている理由の一つかもしれないですね。

シバタ
そうですね、山をやっているとそういう剥き出しの世界を受け入れて、多くのことを学ぶことができますよね。まあ、実際は登っているときにそんなことを考えているわけではなくて、目の前の岩を登り切ることに必死ですけど(’笑)。完全に集中して、次の一手、次の一手を取り続ける。そして最後に登り切って、無事安全に降りてくる。そして緊張から開放される瞬間。あの瞬間が私は好きなんですよね。

土岐
というわけで話をしているうちに、いよいよ比叡山に到着しました。あれが「ニードル」ですね。

シバタ
おおーあの突き出た岩塔がそうなんですね、カッコいい!

土岐
無事登り切って、緊張から解放される瞬間に辿り着けるのか? どんなドラマがそこにあるのか? ということでシバタさん、登りましょう!

シバタ
行くぞ!

▲ニードル左岩稜の終了点に辿り着いた、シバタさんと土岐

▼このインタビューで登った、ニードル左岩稜のYAMAP活動日記はこちら


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