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皆さんの歩いた軌跡から、コースタイムの「ものさし」を創りました

こんにちは。YAMAP データ分析チームの斎藤です。
実はここ数年、安全登山・ウェルネスプロジェクトの一環として「YAMAP」ユーザーの皆さんのGPSログからコースタイムを『標準化』する取り組みを、登山の運動生理学の第一人者、山本正嘉教授と共に、粛々とおこなってきました。

「標準化」とは、あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、交通標識やトイレのマークのような、私たちの共通認識になっている「ものさし」を指します。

世界の至る所にある「ものさし」は、私たちの生活をより安全で、快適で、便利で、豊かなものにしてくれるものだと思います。

矢印(◀▶)が向いている方向に進んだ場合の所要時間を表すコースタイム

「コースタイム」とはその名の通り「目的地までの所要時間」です。
山を歩く方、特に初心者や体力に不安のある方にとって、所要時間はとても大切な情報源です。

しかし、一般的なガイドブックに掲載された2000件を超えるコースタイムを分析した山本正嘉教授の研究結果によると、多くは初心者でも無理なく歩ける時間の範囲内でしたが、平均よりかなり短め/長めの時間が設定されているケースがありました。


統一された基準がなかった

山を歩く方ならお分かりかと思いますが、登山計画を立てる際、コースタイムを活用することで、安全で快適に山を楽しむことができます。振り返る際にも色んな発見をもたらしてくれます。

コースタイムは様々なシチュエーションで使える有用な指標です。しかしながらこれまで、コースタイムを設定するための統一された基準や、それを客観的に評価する指標はありませんでした。

情報の信頼性を科学的に担保し、これまで経験豊富な執筆者の判断に頼らざるを得なかったことで生じていたバラつきを低減させるアプローチは、「余裕のある計画を立てたつもりが予定通りに進まない」「想定よりも速いペースで歩いてしまい疲労がたまってしまった」といった、計画と実態の乖離を回避することに繋がります。

GPSログ(ビッグデータ)から標準値を決め、これまでのコースタイムも客観的に評価できる「ものさし」をつくることで、コースタイムをもっと信頼できる指標にしていきたい。
それがこの研究の背景です。

本研究では、YAMAPユーザーの皆さんのGPSログ約80万件を分析し、地形(斜度)からコースタイムを標準化する計算手法を開発しました。

既存のガイドブック等に記載されたコースタイム(運動生理学の観点から安全圏内と判断できた値)ともよく一致し、高い妥当性を評価できたこの計算手法は、日本登山医学会の査読を経て、学術誌『登山医学 Vol.42』に研究論文として掲載されました。

論文名:大規模GPSログデータに基づく一般的な登山道における標準コースタイム計算手法の提案
著者:斎藤大助※1,松本英高※1,山本正嘉※2
掲載誌:登山医学 Vol.42:37-47, 2022
URL:https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202302250354787078
※1 ヤマップ データ分析チーム
※2 鹿屋体育大学 スポーツ生命科学系

「標準コースタイム」の研究手順

研究の概要について、簡単にご説明します。

コースタイムを規定する要因は、登山コースの「地形(斜度の変化)」「歩きやすさ」の2つです。そのうち、地形によって決まる部分は、同じ地形なのであれば、山域に関わらず同じ値であることが期待されます。

そこで、まずは、実際の登山者の歩行データを分析することで、地形と歩行ペースの関係について調べる必要がありました。そして、YAMAPユーザーの皆さんのGPSログデータを分析した結果、斜度と歩行ペースの関係をひとつのモデルとして表現できることがわかりました。

研究の初期段階:登山者のGPSログ(軌跡データ)からモデルを作成

しかしながら、ゆっくり歩くユーザー、はやく歩くユーザーそれぞれで、地形と歩行ペースの関係は異なるはずです。そこで次に、ユーザーそれぞれの登高速度と下降速度に基づき、ゆっくり歩くグループからはやく歩くグループまで、全4つのグループを選別。それぞれのグループの歩行データを用い、斜度と歩行ペースの関係を表す4つのモデルを作りました。

登山者ごとのペースにマッチしたモデルを作成

最もゆっくり歩くグループのデータから作ったモデルの場合、最大登高速度がおよそ350 m/h、最大下降速度がおよそ500 m/hとなります。これは、運動生理学の観点からみて、初心者や体力に自信のない人でも、無理なく安全に歩くことができるペースです※
[ ※ 350 m/hはあくまでも同モデルの(斜度20〜30%の急勾配における)最大値です。斜度が緩やかな場合、登高速度は小さくなります。]

そのため、このゆっくり歩くグループの歩行ペースを表すモデル1を用い、地形から標準的なコースタイムを計算する方法を採用することとしました。

モデル1の値を用い、登山ルートを分解し、それぞれの地形における標準コースタイムを計算

実際の登山ルートを20-40 mくらいの小さな区間に分解し、それぞれの区間について斜度と水平距離から以下の式でコースタイムを計算します。
区間全体のコースタイムを合計することで、そのルートのコースタイムを算出することができます。

「標準コースタイム」の計算式

計算式は以下のとおりです。(スマホは横スクロールで表示)

$$
{上り区間(s≧0)のコースタイム[分] = (151s^2+65s+19)×d}
$$

$$
{下り区間(s<0)のコースタイム[分] = (137s^2-16s+19)×d}
$$

$$
{但し、s: 斜度(-0.4〜0.4)、d: 距離[km]}
$$

この計算式は、運動生理学の観点から、初心者や体力に自信のない人が無理なく安全に歩けるペース(最大登高速度350 m/h、6メッツ台)に対応しています。

導き出された数値は、試験実装と検証の期間を経て、この度、YAMAPに正式に採用・全面的に実装することができました。
表からは見えない小さな変化ですが「標準コースタイム」に沿って歩くよう心がけていただくことで、自然に無理のないペース配分を身につけていただく、その支えになることを願っています。

なお、標準コースタイムは、比較的整備されて歩きやすいコースにおける基準値です。歩きやすさは、地形だけでなく様々な要因(道の状態)によって異なってきますから、その意味で、特に難易度の高いルートに適用する場合には注意が必要です。

「標準コースタイム」のこれから

山を歩く方・ガイドブック等を制作されている方へ

今回の研究は、コースタイムへの信頼性を高める計算手法の提案です。
様々なガイドブックに記載されたコースタイムと比較することで、山域(すなわち執筆者)によって、全体的に短め/長めのコースタイムが設定されている可能性を検証することにお役立ていただければ幸いです。

また、今後ガイドブックやウェブサイトなどにコースタイムを掲載する予定がある方には、ぜひ標準コースタイムを参考にしていただき、登山者が安心して活動できるコースタイムをご提供いただけると幸いです。

すでにYAMAPをお使いいただいているユーザーの皆さんへ

YAMAPアプリの「歩行ペース表示機能」は、この「標準コースタイム」のペースを100%とした場合の歩行ペースを表しています。平均ペースが速すぎると疲労が蓄積し、体力や判断力の低下を招いてしまうケースも少なくありません。

初心者の方やペース配分に自信の無い方、体力に不安のある方は平均ペース100%と同等または少しゆっくり目のペースで歩くように心がけていただけたらと思います。あらかじめ余裕のある計画を立てておくことももちろん大切です。

誰もが安全・快適に山を歩くことができるよう、今後もさらなる支援内容の充実に取り組んでいきたいと思います。

ヤマップ データ分析チーム
斎藤大助

参考文献
山本正嘉ほか: 登山のガイドブックに記載されているコースタイムの特性 一運動生理学の 視点からの検討一 . 登山医学 40:146-153, 2020.
山本正嘉: 日本の一般登山道におけるコースタイム設定の現状と標準化に向けての提案. 登山研修 37:12-18, 2022.

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