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「山は生き物」 初めて遭難にあった登山のベテラン夫婦が伝えたいこと

こんにちは。YAMAPの千田英史です。

YAMAPの「みまもり機能」が、初めて人命救助に直接貢献した岐阜県・左門岳での遭難事故。先日の速報記事に続き、無事にご回復されたご夫婦と、山岳遭難事情に詳しい羽根田治さんにお話を伺いました。

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「他山の石にして頂けたら」と、お話しいただきました

登山・左門岳との関わり

ーー お二人の登山との関わりについて教えてください

哲夫さん(以下、敬称略 / 70代 / 仮名)25年ほど前になりますが、子どもが親離れして、親ふたりでさあどうしようかと話し合ってた頃、富山県・立山の室堂(むろどう)へ出かけて、ふと雄山の上を見たら、アリの行列のように人々が登ってたんです。

当時の自分は「あんなところに行けるんだ」と素直に驚いて。そこで興味を持ったのがきっかけでした。

裕子さん(以下、敬称略 / 60代 / 仮名)岐阜に帰ってから、ふたりで里山を登りはじめて、数年経って登山クラブに入って。そこからは引率していってくださったので、皆で高い山だったり、雪山だったり、いろんな山に行くようになり、今は月に1〜2回くらい登っています。

ーー 今回の「左門岳」は、行き慣れた場所だったのでしょうか

哲夫:今回が3回目でした。1回目が2003年、2回目が2007年になるので、13年ぶりです。

裕子:5〜6月は、鹿が増える関係で、ヒルがついてくる山も多いんです。なので、この季節はもともと沢から登る山には行かない。

しかも今年はコロナの影響で、県をまたぐ移動も自粛ということで、基本的にはどこにも出かけませんでした。

ただ、自営業の仕事もちょうど去年の暮れに離れましたし、ずっと家にいて、なんにもしないのも良くないねということで、自宅からほど近い左門岳に日帰りで行くことにしたんです。

ーー そこから4日後の救助となるわけですが、まず、登山初日(5月24日)のことについて、お聞かせいただけますか?

裕子:登山口の駐車場に着いたのが、朝の7時半でした。

登山ルート

裕子:そこで携帯を開いたんですが、圏外でした。YAMAPを開いても「インターネットを確認してください」と表示されて。

YAMAPは、ほんの2〜3日前に登録したばかりで、使い方を理解していなく、前もって左門岳の地図をダウンロードすることもしていませんでした。青色の点(現在地)も、おそらく自宅近くを示していて。

なので、よく分からないままでしたが、そのままずっと沢(根尾東谷川)に沿って、右へ左へ渡りながら登っていきました。

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(かっぱさんの活動日記より)

哲夫:沢をしばらく歩いて驚いたのは、13年前に来た時と比べて、まったく違う景色になっていたことです。

当時は、登山道もしっかり整備されていました。でも、今はもう道なき道が続いていて。山は生き物だな、と感じました。

裕子:今思えば「せっかく来たんだし」って気持ちもあったかもしれないですが、そのまましばらく登って。そしたら、左に行くか、右に行くかの分岐がありました。

沢沿いに歩ける右の方から稜線へと登っていったんですが、草や木が生い茂っていて「こんなやぶをどうやって行けばいいの!?」って言い合って。

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(なふさんの活動日記より)

裕子:ですので、私は登山道を探しながら、ゆっくり行ってたんですが、ビニールテープを木につけようとするのに、主人はかつてないほど、まるで何かに引っ張られるかのように進んでいって。

どんどん行っちゃうもんだから、追いつくのに大変で。結局、テープはつけずじまいでしたが、なんとか切り抜けて、山頂に着きました。

ーー 地図をお持ちでなかったと聞きました

裕子:はい。本(岐阜の山旅)の左門岳のページをコピーして持っていました。でも地図は近場だからと、こんな時に限って持って行かなかったんですね。いつもは必ず持っていくのに。

食糧も同じです。いつもは毎回一食分は余ってしまうくらい持って行くんです。ラジオとか予備電源も、この日に限って備えなかった。ただただ、軽率だったと思います。


どこを探しても頂上が見つからない状況だった

哲夫:頂上には、午前10時頃に着きました。持参したおにぎりを食べて、休憩して、さあ下ろうと、登ってきたところを下り始めたんですが、すぐ「登ってきた道と違うかも...」と思いました。

ーー もう違和感があったんですね

哲夫:はい。でも、近くに沢を見つけたので、半信半疑で降りていきました。

裕子:「山頂に戻ろう」って話もしてたんです。ただ、地図もなく、主人が行こうとするのを、間違ってるとも言い切れず、進んでいってしまって。

哲夫:ぐ〜っと左に曲がっていく沢だったので、それに沿って下っていけば大丈夫だろうと、左に下りていきました。

でも結局のところ、進んでいたのは南東の方向で。

裕子:これは全然違うと、近くの尾根に登り返して。それが12時くらいでした。再び違う尾根に出て、右に行ったり、左に行ったり。

かなり時間をかけてあちこちをうろうろしましたが、どんなに探し歩いても、山頂は見つかりませんでした。

ーー 尾根に出ても、携帯の電波は通じなかったんでしょうか

哲夫:はい。警察に連絡しようにもずっと圏外でしたし、もともと日帰り想定でいましたから、充電器もないですし。「電池が少なくなってしまうから、お互いなるべく使わないようにしよう」って言いました。

裕子:登り下りを繰り返して「大平」というあたりまで下った頃にはもう15時〜16時くらいになってしまいました。

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裕子:山奥なので暗くなりはじめていましたし、岩壁にもはばまれて、また右往左往するのは危ないだろうということで、その日は寝ることにしたんです。

小さな尾根に登り、持っていたピクニックシートを敷いて、サバイバルシートを巻き、パンを少し口にして。夜は獣の鳴き声もしていて、怖かったんですが。

ーー 2日目(5月25日)について、教えていただけますか?

裕子:早朝、明るくなってから尾根を下りて、沢に向かいました。そして分岐を右に曲がり「銚子洞」に進んでいきましたが、すぐに岩壁にぶつかって。

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裕子:なのでまた尾根へ登り返したり、沢に降りたり。2〜3回くらい繰り返したんですけど、だんだんと体力がなくなってきました。

哲夫:とにかくお互い空腹でしたので「もうこれ以上は登れないね」となって。

裕子:尾根にあがったとしても、水が補給できなくなりますから。500mlのペットボトルをお互いに2本ずつ持っていたんですが、それでも全然足りないかもしれませんし。

なので、もう移動するにしても沢一択でした。深い所もあって、場所によっては泳がないといけなかったりして。

で、次に進もうとしたら滝の手前で。

ーー 救助された地点ですか

哲夫:はい。銚子滝の手前でした。そこに着いてからは、動かなかったというより、動けませんでしたね。飛び降りるわけにもいかないし、戻る体力もない。

でも、近くにたまたま、河原の幅が広く、空もよく見えるひらけた場所があったんです。

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裕子:服もリュックも濡れてしまっていたので、主人に「もう移動しないでここにいたい」と言って。それが2日目(25日)の昼でした。


滝の近くでビバーク

ーー 2日目(25日)の昼からもずっと、沢の水を飲んでしのいでいたと聞きました

裕子:はい、食糧もなく。ただ、主人が飴とチョコレート、コーヒーのスティックシュガーとアミノバイタルを持っていたので、それを分け合ってました。

あと、主人はガスライターも持っていたので、のろしを上げるには良いと思って、たき火をしたりしながら過ごしてました。

濡れてしまった服も、着て乾かしを繰り返したり、携帯の電波が入る場所がないかと歩いてみたり。YAMAPも何度か起動したりしていたので、ついに電池が切れてしまいました。

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(roadster🏍️✌さんの活動日記より)

哲夫:でも、切羽詰まった心境というのが、全然無かったんです。その場の雰囲気を楽しんでいました。

裕子:そうですね。私も、息子が通報してくれて助けに来てくれることは期待していました。けど、切羽詰まった心境や焦りというのはなかった。

死ぬんじゃないかっていう考えもなかったですね。

ーー なぜ、そのような心境でいられたんでしょう

哲夫:そうですね。食糧も体力もなかったですが、やっぱりお互いに怪我をしていなかったというのが大きかったと思います。あと、小雨が降ったり雷が鳴ったりもしましたが、風はなく、寒さもあまりなくて。

裕子:川辺ってよくアブとか虫が出ますよね。河原の幅も広く、そういうのもいなくて、過ごしやすかったというと変な話ですけど。

サバイバルシートもあり、お互いに励まし合いながら過ごせて、あまり深刻にならなかったですね。じっとたき火を眺めてたわけでもないですし(笑)のろしを上げるための枯葉とか小枝拾いに追われてました。

ただ、ずっと「まさか遭難するなんて」って気持ちはありました。

地図や食糧はもちろんですが、主人が持ってきていたフリースも、私は置いてきてしまっていて。こんな時に限っていろいろ重なってしまったな、と。

ーー 3日目(26日)と 4日目(27日)もその場にいたとのことですが、何か変化はありましたか?

哲夫:はい、ちょうど3日目(26日)からヘリコプターの音が聞こえはじめて、しばらく続いたので、あ、これは捜索を始めてくれたんだな、と。

見つけてもらうため、のろしを上げたり、目立つ黄色のシートを広げたりしました。

裕子:後から聞いたんですが、山頂付近で、私が歩数計を落としていたみたいなんです。

それを県警の方が見つけて「近くにいるんじゃないか」と、その周辺を捜してくれていたみたいです。

哲夫:私たちの居た場所からも遠かったんですが、息子が通報してくれて、捜してくれていることは感じてました。

裕子:ただ、ヘリコプターの音はずっと聞こえるんだけど、見えない状況というのが続いて。

結果的には、28日に救助されたその時まで、見えるところには来なかったんですが「ここにいればなんとかなる」と思えて、あまり悲観せずにいられたのは、その音のおかげかもしれません。

救助された時に空から見たのですが、谷底は想像以上に深く、のろしなんて絶対に見えないと思いました。

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YAMAPの位置情報から救助へ

ーー 無事救助された際、ご家族は何と仰ってましたか?

哲夫:とにかく「よかったね」って(笑)

裕子:はい。怪我もなくてよかったね、と。

哲夫:搬送された病院の血液検査で、今回に関係のない破傷風の菌が見つかって「逆によかったね」とも言われましたが...

ーー 私たちにとっても初めてのケースで、YAMAPメンバーみんな、お二人が生きて救助されたことを喜んでいました

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裕子:本当にありがとうございます。元々登山中に圏外になったりするのが不安で、登山仲間にそういう時にも位置情報がわかるアプリがあるって聞いて、何かあった時のために入れておいたほうがいいかなと思って入れて。

ただ、とても申し訳ないことに、登録しただけでした。

ーー 今回は、電池が少ない中でも、YAMAPの起動を何度か試してくださって、幸いにも電波の通じた箇所があったこと[※]。そして、ご子息の方が私たちに問い合わせてくださったので『みまもり機能』の位置情報(GPSログ)を、警察の方にお伝えすることができました。
「ダウンロードしたこと」は、ご家族へ共有されていたんですね

裕子:家族みんなで食事しているときにたまたま、私がポロっと「YAMAPを入れた」って話をしたんです。そんなに詳しい話はせず、何気ない会話でしたが、覚えててくれたんですね。

息子家族とは同居しているので、分からないことを直に聞いたり、いろいろ共有したりするのは自然なことでした。

哲夫:これまでは位置情報を共有できるなんて知らなかったので「○○の山に行ってくる」くらいでしたけど。

裕子:ちゃんと共有しておくことも「(山は)何が起こるか分からない」と、いろんなところで言われている理由も、もうはっきり身に染みました。

ーー 夏山の季節ですが、同じ登山者に向けてアドバイスを送るとしたら、いかがでしょうか?

哲夫:元々「板取(救助地点の地名)に降りたら帰って来れないよ?」って話も聞いてたんです。だから、行かないようにしようと意識して、それでも辿り着いてしまったということなので。

当たり前のことですが、経験したことのある山ほど気をつけて、安全を強く意識して、これからも登山を続けたいし、続けてほしいと思います。

裕子:私も同じです。油断大敵の一言に尽きます。

ーー 大変貴重なお話をありがとうございました

[※] アプリを起動しただけで、位置情報が送信されることはありません。「みまもり機能」を利用し、現在地を送信するには、あらかじめ地図をダウンロードし「活動開始」ボタンを押す必要があります。
今回は、他地域の地図がダウンロードされており「活動開始」ボタンも押下されていたため、電波が通じた際に、GPSログを取得できた形となります。

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もしもこうしていたら ー 羽根田治さんに訊く

今回のケースについて、本インタビューにご同席頂いた羽根田治さんに振り返っていただきました。

ーー 一連のお話を聞いて、いかがでしたか?

羽根田さん(以下、敬称略)全国いろんな山に登られていて、登山の経験も知識もある。とても山に慣れていらっしゃいましたよね。さらに、行ったことのある山だった。

だからこそ、たとえ装備や食糧が十分でなくとも、地図もお持ちでなくとも大丈夫だろうと思われてしまった。山に慣れたゆえの出来事だったと思います。

侮ることなく、地図とコンパス、エマージェンシーグッズ、防寒具などの装備はいつでも持っていく必要があると改めて気付かされました。

ーー 下り始め(山頂付近)でルートを外れた際に、すぐ戻れていたら...と思いました

羽根田:おかしいと感じた瞬間、その時点でもし地図を開いて確認することができていたら、きっと引き返せていたでしょう。でも、地図はなく、沢を見つけて「こっちなんじゃないか」と奥様も引っ張られ、下ってしまった。

道に迷ったら、沢を下ってはいけません。まず何よりも現在地を知る、その判断材料を得るために、見晴らしの良いピークや尾根に登るというのが、いわば「鉄則」になっています。

当然、ご夫婦もご存じでしたが、左門岳は樹林帯の山で、見晴らしの良い場所も少なく、豊富なご経験と、おそらく「大丈夫だろう」といった楽観主義バイアスも重なり、離れたところまで歩かれてしまったのだと思います。

ーー 最終的に、捜索地点と救助地点は全く異なっていました

羽根田:通常、山岳遭難の捜索活動は、何らかの手がかりに基づいて行われます。今回は、車のあった登山口付近と、歩数計の落ちていた山頂付近でした。

その周辺を重点的に捜索していたわけですので、ご夫婦が空のよく見えるひらけた場所を選び、たき火をし、火を見て心を落ち着かせたり、煙を出したことも発見されやすい合図になり良かったのですが、やはり捜索地点からは、かなり距離がありました。

これほどの距離だと、YAMAPさんの位置データがなければ最悪のパターンになっていた可能性もありますし、もしご夫婦が初日、稜線に登り返してビバークしていれば、より早く救助されていた可能性も残ります。

ーー ご家族への情報共有があったからこそでした。山に行く前の「情報共有」と救助時の「位置情報の利活用」を共に促していく取り組みもスタートしたばかりです。安全網の整備をここからさらに進めていきたいと思っています

羽根田:とても意義のあるアプローチだと思います。ご夫婦も仰っていましたが、登山の予定を口頭で共有しても「日付」や「エリア」程度になることが多く、それだけでは捜索活動がとても難しくなります。

余裕のある「行程計画」を立て、大切な誰かと共有しておくことは命を繋ぐ行動になりますので「100%遭難しない山はない」と思って、安全に楽しく登山して頂きたいですね。

[取材・文] 千田英史(YAMAP) [監修] 羽根田治

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